【第8回】大乗の論理―煩悩即菩提―

筑波大学名誉教授 伊藤益

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 人間にはさまざまな欲望があります。仏法では、それらを「五欲」と呼びます。具体的に示せば、財欲、色欲、飲食欲、名欲、睡眠欲です。文字を示しただけで、みなさまにはおわかりでしょうが、念のためご説明しておきます。金銭、富を得たいという欲望、異性と交わりたいという性欲、飲みかつ食べたいという願望、名声を博したいという希み、ぐっすり眠りたいという想い。主(おも)に、そうした心の在りようが「五欲」です。これらの「五欲」はできるかぎり抑えなければならない、と仏法は説きます。馬鹿を言うな、どれもみな人間が生きるために欠かせない、基本的な欲求ではないか、そのうちのたとえ一つでも充たされないなら、人は生きられない、そのどこが悪いのか、とおっしゃるかたもおられるでしょう。そのとおりです。五欲のうちのいずれを欠いても、人はしっかりと己れの身を保ちつつ十全に生ききることはできません。仏法の開祖釈尊(ゴータマ・ブッダ)も、これらの欲求をすべて捨て去れなどとは言っていないと思います。すべて捨て去

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れば死ぬことになるでしょうし、しかも、釈尊の仏法は、けっしていのちを捨てよとわたくしどもに命ずるもの、つまり自殺教などではないからです。ですが、釈尊が最終的にめざすのは、「無我」(アナートマン)という境地です。「我」を消して、何ものにもとらわれない在りかたを仏法は求めます。「無我」とはたやすく達成されるものではありません。けれども、できるだけそれに近づくことはできます。そして、「無我」を追い求めよ

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うとするとき、邪魔になるのが五欲です。それらが充足されなければ、いのちがなくなる怖れがありますから、そのような邪魔なものは全部捨棄しなければならないと考えてしまうのは、生きものとしての自己否定を意味しています。ですから、それらを捨てきってしまう必要はありません。とは言え、五欲にまみれ、それらを是非とも充たさねばならないという思いにとりつかれると、心の平静を保つことが至難になります。釈尊の仏法は、

                  

「涅槃寂静」を、すなわち落ち着いた覚り(さとり)の心で静かに生きることを窮極の目的とするものですから、わたくしどもが心の静安を欠くという事態は、けっしてあってはならないことです。

 心をかき乱す「我」の情動を、仏法は煩悩と解します。五欲はまさに煩悩なのです。いわゆる「宗派」の別を問わず、仏僧たちはしばしばこう語ります。煩悩を根こそぎ取り払うか、あるいは可能なかぎり遠ざけることによって、我らは「無心」「無我」なる境地にいたりうる、と。けっしてまちがっていない言説です。釈尊か、もしくは彼と同等の境位に立ちいたった人であれば、「我」(が)を完全に消し去ることもできるでしょう。しかし、わたくしども「覚り」から程遠い俗人が、主体我たる「我」を消去し尽くすことなど、とうてい不可能です。仏の道をひた向きに生きる仏僧たちにとってすら、それは至難でしょう。わたくしども凡夫は、できるだけ煩悩から遠ざかることによって、「無我」の境地にほんの一歩ほど近づくだけで精一杯ではないでしょうか。煩悩をほんの少しばかりなりとも小さくすべく、古来仏僧たちは全霊をこめて修行をしてきました。南都六宗、それに天台や真言などの、いわゆる「八宗」の厳格な修行とは、まさに煩悩の抑止をめざすものでした。禅もそうです。たとえば、日本における曹洞宗の開祖と一般には称される道元は、只管打座(しかんだざ)、つまり、ひたぶるに坐りつづけることで、「我を忘るる」境地、万象に照らされる境地に達しうるのだ、と説いています(『正法眼蔵』)。面壁してただ座禅する。そうすれば、煩悩の黒雲がやがて晴れ、「覚り」にいたることも夢ではないというのが、曹洞宗の考えかたでした。臨済禅はそれとはやや異質ですが、「公案」を解くことで覚りを求めるその姿勢は、煩悩の断滅をめざすものですから、その本質において曹洞禅とまったく立場を異にしているとは申せません。

秋明菊/シュウメイギク(当山の敷地内にて)
秋明菊/シュウメイギク(当山の敷地内にて)

 さて、このように多くの仏僧たちが煩悩を去り、五欲を鎮めるべく修行をするのに対して、法然や親鸞は、自分たち凡夫には修行などとうていできるものではない、と言います。彼らは説くのです。いまは末法、無戒の世、その末世を生きる我らは、弥陀如来の摂取不捨の誓願に与かって救われ、覚りへといざなわれることだけしか希みえない、と。その場合、救われ覚らしめられるための唯一の条件は、「南無阿弥陀仏」と口でとなえることである、とも法然や親鸞は述べます。もちろん、彼らが衆生に勧める念仏は、弥陀如来に何かを実現してもらい、現世で利益(りやく)を得るための道具的手段、言いかえれば「呪文」のごときものではありません。念仏は、信心がそこにおいて発現する「場所」(コーラ)です。親鸞は、主著『教行信証』のなかで、「南無阿弥陀仏」の「南無」は、如来招喚の勅命である、と言っています。如来が我れに帰命せよと命じている、その「南無」がわたくしどもの口を衝いて出るとき、わたくしどもはすでに信心を賜わり、弥陀に摂め取られている、ということです。「南無阿弥陀仏」は、わたくしどもの側の単なるとなえ言(ごと)ではなしに、弥陀如来が、「いま、ここ」に、念仏のなかに示現していることの徴(しるし)だとも申せましょう。

 法然や親鸞が言うには、煩悩はとうてい断滅させうるようなものではありません。わたくしども人間は、帰無(死)にいたるまでそれをもちつづけます。『歎異抄』の表現に沿うならば、わたくしどもは「罪悪深重、煩悩熾盛」であり、煩悩から脱しえない存在です。わたくしどもは、弥陀如来から賜わった信心に拠って念仏ただ一行に帰するとき、浄土の浄化の用き(はたらき)に与かり、そのとき「覚り」へと到達する(成仏する)ことになります。法然は、我らは煩悩のかたまりであるにもかかわらず、如来の慈悲に根ざす誓願によって救い取られるのだ、と言っています。しかし、如来によって救われての覚りということに関して、親鸞は法然と微妙な形で考えかたを異にしています。すなわち、法然が「煩悩があるにもかかわらず」と説くのに対して、親鸞は「煩悩あるがゆえに」と言うのです。つまり、親鸞によれば、わたくしども悪凡夫は、煩悩のかたまりとしての在りようを一歩も脱しえないがゆえに、如来に救われ、そして覚らせてもらえる、ということです。

当山境内の「親鸞が葉に実を包んで草庵の庭に播いたと伝わる当山境内の「お葉付きイチョウ」。
当山境内の「親鸞が葉に実を包んで草庵の庭に播いたと伝わる当山境内の「お葉付きイチョウ」。

 釈尊がどう思っておられたのかははっきりとはわかりませんが、仏法の伝統では、煩悩に心を曇らされているかぎり、人は救われず覚りも希めないということになっています。であるのに、親鸞は、煩悩があればこそ救われ覚らせていただけると説くのですから、いわば異例の言説におよんでいることになります。そうした異例さをきわだたせるのが、『歎異抄』第三条に説かれる「悪人正機説」、なかんずく「自力作善の人はひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず」という言辞です。悪人正機説は、「善人なほもつて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という同条の一文を以て端的に言いあらわされます。善人でさえも往生できるのなら、悪人が弥陀如来に救(たす)けられて浄土に往生するのは当然のことだ、という意味です。それだけのことなら、法然の愛弟子勢観房源智も『法然上人伝記』のなかで師の口伝として伝えていますし、旧仏教、すなわちいわゆる顕密仏教の学僧たちも同様のことを言っていますので、特段驚く必要もないでしょう。ただし、法然たちは、「煩悩具足の悪人であるにもかかわらず善人と同じように救けられる」と語っているのに対して、親鸞はこう言うのです。「自力作善の人は……弥陀の本願にあらず」と。善人は救われない、だが、われらは煩悩まみれであるがゆえに、すなわち明々白々なる悪人であればこそ救われ、かつ覚らしめられる、ということです。

 親鸞の悪人正機説は、きわめて存在論的なものです。人はだれしも他の生きものを犠牲にし、他の人々を排除しながら生きてゆく。その現実を直視し、みずからそれを悲苦とする者が救われかつ覚らせてもらえると親鸞は説きます。そのことは、このセミナーの第4回の稿「悪の思想」でくわしく説明しましたので、関心をおもちの向きは、そちらをご覧ください。今回は、悪人正機説の具体的な内容ではなしに、悪人正機説を成り立たせる論理の機制が、実は大乗、マハーヤーナに特有のものであることをあきらかにしてみたい、と思います。大乗仏法の論理については、古くから多くの研究者たちがくわしい分析と解釈を施しています。ですが、それらはあまりに微にいり細をうがちすぎていて、木を見て森を見ない傾向があります。わたくしどものような、大枠のみをとらえたいと希む一般人には精緻をきわめるがゆえに、かえって何もわからなくなってしまっているようです。わたくしも、仏法の論理学「因明」(いんみょう)に触れたことはありますが、その細部についてくわしくは知りません。ですから、この論考では、ごく普通の日本仏法研究の立場から、大乗の論理の一般的形式とその意味について考えてみたいと思います。それは、おそらく、「思想家」親鸞が、同時代のだれよりも、大乗の論理を重んじていることを示唆することへとつながってゆくでしょう。

 

 

  みなさまもご存知のように、日本の文化や思想は、もともと西洋を起源とする哲学、すなわちピロソピアの伝統とは無縁でした。ピロソピアは、幕末から明治初頭のころにかけて、日本に流入したもので、それを「哲学」と翻訳したのは西周(にし・あまね)だったと考えられています。しかし、啓蒙家西周や、日本で最初に創学された東京大学の教授陣は、日本独自の哲学を確立することはもとより、西洋哲学を精確にとらえることもできませんでした。そして、およそ40年を経て、ようやく『善の研究』によってこの国で最初の哲学が生い立ったと言われています。著者は当時京都大学の教官だった西田幾多郎(にしだ・きたろう)。彼は同著において、「純粋経験」の論理をうち立てました。哲学とは、それぞれの国、あるいは文化圏の伝統的思潮に論理もしくは論理学をもちきたらすことで成り立つ学です。ですから、主観と客観との合一によって成る純粋経験という、意識以前の根本経験を東洋の思潮に即して明確化した西田幾多郎は、明治末から昭和前期において、日本で唯一の哲学者であったと言ってもよいでしょう。

 西田は41歳にしてようやく京大に職を得た学者ですから、哲学徒として恵まれていたとは言えません。それよりもさらに不遇だったのは、その家庭生活です。6人の子を生(な)したものの、うち5人を次々と亡くし、果ては妻とも死別の憂き目に遭います。そのような体験のゆえでしょうか。のちに西田は、哲学の根源は「驚き(タウマゼイン)」などではない、悲哀である、と語っています。そうした哲学観のもとに編み上げられた彼の哲学は、西欧の哲学には見られない、情性の哲学、それも情のうちに整然たる筋道を見とる「情理」の哲学となってゆきます。西田哲学は次第に深まりつつ、旨とする論理において変貌してゆきます。当初は「純粋経験」を説いていた西田ですが、ほどなく「純粋意志」の立場を表明し、やがて「場所」の論理や「絶対矛盾的自己同一」の論理などを説くようになり、昭和20年6月、敗戦の年に75年の生涯を終えます。死の直前に公表した最後の完成論文は「場所的論理と宗教的世界観」と題されています。その論文は、「逆対応」という論理を説くもので、親鸞思想、ひいては大乗仏法特有の発想法の意味をあらわにする、西田渾身の秀作でした。

 西田の言う「逆対応」とは、互いにまったく逆方向を示す2つの概念が相(あい)応ずることを意味しています。西田については、いまもなお多くの研究者が禅思想と彼とのつながりを強調しますが、浄土真宗第8世法主蓮如が越前吉崎に拠点を定めて布教活動に従事して以来、北陸は浄土真宗の金城湯池となり、多くの在地住民が念仏の門徒となっている地です。そこで生まれた西田の心の骨格を形成しているものは、禅よりもむしろ親鸞の教えでした。ですから、西田がその最晩年に心を寄せたものは浄土真宗であり、彼の逆対応の論理は、当然の如く、親鸞思想をその根底から理論化するものとなりました。西田自身が言うには、逆対応の論理によって明確化されるのは、親鸞のつぎのような思想です。すなわち、罪悪深重にして煩悩熾盛なる悪凡夫が、まさに悪人たるがゆえに、悪人をこそ救い取ろうという弥陀如来の誓願に与かって浄土への往生を遂げるという考えかた。それは、法然と、彼が「帰依善導」、すなわち「善導一師に依る」と述べて絶対的随順の意志を鮮明にする善導とが強調する、「二種深信」(にしゅじんしん)の思想でもあります。また、悪人正機説も、善と悪とが正反対の様相を示しつつ弥陀の救いに収斂すると説くわけですから、逆対応の論理をあらわにするものと申せましょう。「二種深信」をくわしく説明すると、つぎのようになります。たとえば、この現生(げんしょう)における底下(ていげ)の凡夫たるわたくしが、みずからの愚劣さを深く自覚することが一種。そして、もう一種は、弥陀如来は、そのようなどうしようもない凡愚をけっして見捨てることなく、かならず「摂取不捨」の願のうちに救い取ってくれると信ずることです。悪人正機説も二種深信説も、いずれも西田の言う逆対応の具現にほかなりません。

伊藤先生の『東西宗教思想家たちのシュンポシオン1・親鸞』(当山の書籍売り場にて)
伊藤先生の『東西宗教思想家たちのシュンポシオン1・親鸞』(当山の書籍売り場にて)

 西田は、親鸞思想を逐語的に解釈したわけではありません。彼は、幼時から浄土真宗に親しんではいたでしょうが、その教義学に通暁していたわけではないと考えられます。西田は、多分に直観的、あるいは直感的に親鸞思想の核をつかんだのであろうと思われます。それならば、西田はいったいなぜ、二種深信や悪人正機という仏法上の概念に依拠せずに、わざわざ「逆対応」といった新造語を説明原理として用いたのでしょうか。それは、仏法、殊に浄土門に固有な概念では、仏法、なかんずく浄土門の論脈を地道に跡づけることはできても、親鸞思想を哲学の世界で通有化し、ひいては普遍化することが望めないと考えたからだ、と思われます。親鸞思想は、現代ではほぼ例外なしに、宗教思想ないし宗教的教説と解されています。わたくしは、昨年3月に春秋社から『親鸞―『歎異抄』を手がかりとして』という一書を公刊しましたが、それは「東西宗教思想家たちのシュンポシオン」と銘打つシリーズ本の第一弾としてでした。このシリーズでは仏法は「宗教」の一種ととらえられています。ですが、仏法を短絡的に「宗教」ととらえてしまうのは、実は危険な振舞いです。「正見」を以て真理を見きわめようという釈尊の意図は、信ずる者の救済といったようなキリスト教的観念とは本来無縁だからです。にもかかわらず、親鸞思想が「宗教」の一環に組みいれられているのは、明治中期以後の清沢満之とその門流の教義学、すなわちキリスト教をモデルとする親鸞理解が一般化してしまったことに因(よ)るのでしょう。西田は親鸞思想を宗教として解する前に、それをまずは「哲学」として把捉したのだ、とわたくしは推察しています。「哲学」であるならば、独自の「ことば」の筋道を以て、つまり、ロゴス(ことば、理性)によって論理化されなければなりません。西田は逆対応という論理の普遍化を求めつつ、それを以て親鸞思想を跡づけ、それを西欧哲学にも伍しうる「哲学」そのものとして一般化ないし普遍化しようとしたのではないか、とわたくしは考えます。

 仏法を「哲学」ととらえることには、何らの無理もありません。釈尊の仏法は、まずは刹那滅(せつなめつ)の把捉から出発しています。刹那滅とは、一刹那、すなわち75分の1秒のあいだに、あらゆるもの、ことが生成消滅するとの認識を示す概念です。専門的研究者のあいだでは古来解釈がわかれますが、要は、一瞬一瞬のうちに事物は滅びかつ成るということです。何もかもが刹那に滅し刹那に成るのなら、常住なるもの、いま、ここに定在するものなどなく、「諸行は無常なり」ということになるでしょう。常住、常在なるもの何もなしと考えれば、もの、ことの基体たる「我」(が)もなく、「諸法無我」」となります。これこそが釈尊の思想の核と言えます。主体我たるアートマンを消し去り、いっさいはアナートマン(無我)と見きること。それこそが釈尊のめざすところでした。そこからやや附随的に生ずるのが「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)という事態です。「正見」をもつ、すなわちもの、ことの真態を、「諸行無常」であり、かつは「諸法無我」であると冷静に見きわめるなら、もはや現生の「苦」などにはとらわれない、静安で落ち着いた覚りの境位に達しうる、と釈尊は言います。このように、理路を踏んで諄々と精神の覚醒に立ちいたる思索の道行きは、飛躍や超越なきものですから、宗教と言うよりも、やはり「哲学」と名ざすべきものではないでしょうか。釈尊も「慈悲」を説きます。ですから、のちの大乗の仏法と同じく、他者を救うという観点をも自説のうちに含んではいます。しかしながら、仏法は、大乗をも含めて、「救い」よりもむしろ「覚り」に重点を置く傾向にあると言えます。「覚」とは哲学的な心の在りようと申せましょう。

 そうした哲学的性格のゆえに、紀元前後に勃興した大乗仏法は、紀元2世紀の龍樹(ナーガールジュナ)、同5世紀の世親(ヴァスバンドゥ)によって大成されるころに、独自の「論理」をもつようになります。『金剛般若経』の漢訳本に登場する論理がそれです。定式化すればつぎのようになります。

 

AはAでない、ゆえにAである

 

 鈴木大拙(すずき・だいせつ)という名をご存知のかたは少なくないと思います。明治後期から昭和中期にかけて活躍した禅者です。鎌倉の名刹円覚寺で修行をしたのち、アメリカや西欧で禅を紹介して、名を馳せました。鈴木大拙の教化に感銘を受けた欧米人はかなりの数にのぼり、欧米ではいまでも「仏法と言えば即ち禅」という認識が一般化しています。鈴木大拙は、『金剛般若経』の右のような論理を、「A即非A」と述べるものととらえ、それを「即非の論理」と名づけました。わたくしは、そのことを、筑波大学・同大学院の教え子であり、現在は臨済宗円覚寺派の教学部長の任にある蓮沼直應(はすぬま・なおたか)君の大著『鈴木大拙―その思想構造』から教えてもらいました。鈴木大拙の思想を深く知りたいと望まれるかたには、ご一読をお勧めします。さて、その鈴木大拙ですが、西田幾多郎と同じ石川県の出身で、西田と中学、高校ともに同期の莫逆の友です。実は、大拙が「即非の論理」と呼ぶものと、西田の「逆対応」の論理とは、ほとんど重なり合っています。大拙のほうが先に「即非の論理」に着目し、彼の強い影響のもと、西田は「逆対応」を説いたのではなかったかと思われますが、禅にあまりくわしくはないわたくしには精確な判断はできません。2人の友情は、まさに肝胆相照らし、思想上の壁すらも乗り越える類(たぐい)のものでしたから、あるいは「即非」と「逆対応」とはまったく同じことを相互の了解のもとに別途に言いあらわしたものなのかもしれません。「即非の論理」は、禅のみならず、大乗全般を貫いています。「逆対応」も、親鸞を読み解くなかで得られた論理ですが、親鸞が他のいかなる浄土思想家にも増して、釈尊以来の仏法の伝統を強く意識していたことから推(すい)するに、やはり、大乗全体に通ずるものではないか、とも考えられます。この推測が妥当か否か、そして、そもそも大乗の論理を具体的に説明するにはどう考えるのがもっとも適切か。この論考では、そうした問題に迫ってみたいと思います。

 

 

AはAでない、ゆえにAである

 

 このような論理は、西洋の論理学においては成り立ちようもありません。西洋の論理学にはおもなものが2つあります。1つは、アリストテレスが構築した「形式論理学」。もう1つは、ヘーゲルの「弁証法論理学」です。形式論理学は、紀元前4世紀ころのギリシア人たちの一般的思考法を系統化するもの。弁証法論理学は、千数百年にわたって西欧世界を思想的に主導してきたキリスト教に史上はじめて整然たる思考の筋道を与えたものです。

 アリストテレスの形式論理学は、「AはAである」という同一律(自同律)と、「AはAであって同時に非Aであることはありえない」という矛盾律とを基礎に据えるものです。それに拠れば自同律を侵犯し、矛盾律に反する論理は論理と名づけるにあたいしないということになります。即非の論理、「AはAでない、ゆえにAである」と説く大乗の論理は、形式論理学からすれば、まったくナンセンスなものということになります。形式論理学は、わたくしども現代の日本人にとって、ごく自然に受け容れられるものとなっていると申せましょう。明治期以後の教育は、形式論理学に基づいて行われてきたのですから、当然そうなります。たとえば、現代における学術論争も、相手側の自同律違反、矛盾律侵犯を衝けば勝利と考えられています。

 さて、アリストテレスが形式論理のもとに構築した哲学は、その経験主義的で常識論的相貌ゆえにヘレニズム世界に深く浸透していましたが、ヘレニズムの終焉以後、いったん西洋世界から姿を消します。しかし、それはアラビア世界に手厚く保存され、やがて、中世のキリスト教的西欧世界に逆輸入されます。その時点で、アリストテレスは、西欧の哲学や神学にとって、全面的に随順すべき唯一最高の哲学者となります。中世西欧の哲学や神学の文献が、「哲学者は言う」と語るとき、その「哲学者」とは、アリストテレス以外の何者でもありません。西欧中世哲学の自己構築の原理は、アリストテレスの形式論理学でした。ですが、アリストテレスを範とするかぎり、キリスト教哲学でもある西欧中世哲学は、自身にとって最も重要な問題を論理的に説明づけることができませんでした。その問題とは「三位一体論」、すなわち「父」なる神と「子」なるイエス・キリスト、そして聖霊の三者が位格を異にしつつも一(いつ)に帰するというパウロ以来の考えかたを具体的にいかに解するべきか、ということでした。三が一になるという事態は現実的には完全なる矛盾ですから、アリストテレス的に考えれば論理以前、もしくは超論理的な事柄です。ですから、西欧のキリスト教的哲学は、三位一体論を論理を以て解きあかすことを断念し、それを宗教的信仰の問題とせざるをえませんでした。そのような思想状況を一変させたのが、ヘーゲルの『精神現象学』でした。

コルドバのメスキータは、一度に数万人が礼拝可能であったコルドバのモスク(メスキータ)。コルドバは、アラビア語からラテン語への「翻訳工場」と言われ、ここから当時の最先端の学問が欧州中世世界に伝えられた。後にイスラム勢力が後退すると、メスキータはカトリック教会になった。
コルドバのメスキータは、一度に数万人が礼拝可能であったコルドバのモスク(メスキータ)。コルドバは、アラビア語からラテン語への「翻訳工場」と言われ、ここから当時の最先端の学問が欧州中世世界に伝えられた。後にイスラム勢力が後退すると、メスキータはカトリック教会になった。

 さて、アリストテレスが形式論理のもとに構築した哲学は、その経験主義的で常識論的相貌ゆえにヘレニズム世界に深く浸透していましたが、ヘレニズムの終焉以後、いったん西洋世界から姿を消します。しかし、それはアラビア世界に手厚く保存され、やがて、中世のキリスト教的西欧世界に逆輸入されます。その時点で、アリストテレスは、西欧の哲学や神学にとって、全面的に随順すべき唯一最高の哲学者となります。中世西欧の哲学や神学の文献が、「哲学者は言う」と語るとき、その「哲学者」とは、アリストテレス以外の何者でもありません。西欧中世哲学の自己構築の原理は、アリストテレスの形式論理学でした。ですが、アリストテレスを範とするかぎり、キリスト教哲学でもある西欧中世哲学は、自身にとって最も重要な問題を論理的に説明づけることができませんでした。その問題とは「三位一体論」、すなわち「父」なる神と「子」なるイエス・キリスト、そして聖霊の三者が位格を異にしつつも一(いつ)に帰するというパウロ以来の考えかたを具体的にいかに解するべきか、ということでした。三が一になるという事態は現実的には完全なる矛盾ですから、アリストテレス的に考えれば論理以前、もしくは超論理的な事柄です。ですから、西欧のキリスト教的哲学は、三位一体論を論理を以て解きあかすことを断念し、それを宗教的信仰の問題とせざるをえませんでした。そのような思想状況を一変させたのが、ヘーゲルの『精神現象学』でした。

 神学的存在ではない、現実を生きる生身(なまみ)の生きものとしての人間は、矛盾的構造のもとで、さまざまな二律背反的情態に陥りつつ日常を過ごしています。ヘーゲルは、そのことを鋭利にとらえていたのでしょう。彼は矛盾的現実を解消する論理、弁証法をうち立てます。弁証法とは、相(あい)矛盾し、ゆえに対立し合う2つのもの、ことが、第3のもの、ことを契機として止揚、綜合(アウフヘーベン)されるという論理です。それは、「定立→反定立→綜合」、あるいは「即自→対自→即かつ対自」といった形で定式化されます。相対する2項が第3項の措定を以て一に帰せられるとする、ヘーゲル弁証法は、キリスト教の根幹と言うべき三位一体論を鮮やかに論証します。キリスト教、ないしキリスト教思想とは、イエスの没後にパウロが説き、アウグスティヌスが系統化を試みたものですが、それは、ヘーゲル哲学の登場を待って、ようやくみずからに固有な独自の「論理」を得たと申せましょう。

ウンター・デン・リンデン沿いにあるフンボルト大学ベルリン(旧ベルリン大学)の本館。ヘーゲルは最終的にベルリン大学教授になった。
ウンター・デン・リンデン沿いにあるフンボルト大学ベルリン(旧ベルリン大学)の本館。ヘーゲルは最終的にベルリン大学教授になった。

 即非の論理に話を戻します。「AはAでない、ゆえにAである」という形式論理的には異様でしかないこの論理は、一見するとヘーゲル弁証法の説明しうるところではないかと思われます。即非の論理は矛盾の論理であり、ヘーゲル弁証法は現実生活のただなかに生起する諸々の矛盾を解きほぐす論理なのですから。しかし、そう断じてしまうとすれば、それは少しばかり短絡を窺わせる見かたではないかと思います。ヘーゲルは、たしかに人間的現実界の随所に矛盾が生ずることを冷静に見きわめています。けれども、彼は、矛盾をそのままの姿にとどめ置くことを認めません。ヘーゲルは、第3項による矛盾の解消、もしくは超克をめざすのです。これに対して、即非の論理は、矛盾を矛盾のままに放置します。矛盾こそが、もの、ことの現実的眞態にほかならないととらえるのが即非の論理であり、もしヘーゲルが即非の論理を知っていたとしても、当然そういうことになるのでしょうが、彼がそれを「論理」として認めることなど、ありえようはずもありません。くりかえしになりますが、念のため申し述べておきます。ヘーゲルは第3項を措定し、それを以て矛盾の超克をめざします。ところが、即非の論理は、初元の矛盾をそのままに放置するのです。言いかえれば、矛盾こそもの、ことの現実の実相と解するのが、即非の論理で、それは当然ながらヘーゲルの容認するところとなりうべくもありません。

 形式論理学であろうが、あるいは弁証法論理学であろうが、ロゴス(理性、ことば)の理路に即する西欧の論理は、その理路からはずれ、ある意味ではその理路を無視するとも言うべき即非の論理を理的に承認するはずがありません。西欧の論理に拠って想いかつ考える人々にとって、即非の論理は、決定的なまでに脈絡と整合性とを欠く異端の論理、もしくは、ただの無論理でしかありません。ここで、西欧の論理か、それとも東洋的仏法の論理か、いずれが思想的ないし哲学的に優位に立つのかを問うことは、わたくしの意図するところではなく、読者のみなさまにとっても有意義だとは言えないと思います。ただ、形式論理学や弁証法的論理学は、「理性」(ヌース、ラティオ)に根ざす論理にほかなりませんが、他方、仏法の論理は、そうした西欧型の論理とは異なる発想、異質な地平において成り立っていることだけを、わたくしどもは、明確にとらえておくべきではないか、と思います。上に述べましたように、即非の論理、すなわち、「AはAでない、ゆえにAである」と定式化される論理は、矛盾を矛盾のままに据え置く論理です。それが具体的にどのような事態に触れていて、いかなる「語り」へとわたくしどもをいざなうのか。まずは、そのことを鮮明にしておく必要があるでしょう。

 即非の論理の定式化と、矛盾容認の具相とのいずれが先立つのかを厳密に問うことは、この論考のおよびえぬところです。ですが、大乗特有の基本テーゼを、ここで、2つだけ挙げておきましょう。1つは、「煩悩即菩提」というものです。これは、「生死即涅槃」と置きかえることもできます。もう1つは、大乗の一支脈たる浄土教において説かれる、即得往生説、または不体失往生説です。後者は、前回第7回の「浄土論」でも述べたように、浄土を楽園としての「場所」あるいは異界とは規定せずに、現生のもの、ことを清浄化(purification)するはたらきと解する世親や曇鸞、そして親鸞の論脈のなかで、それ相応に説明づけられます。仏法では、人のみならず、人をも含めたありとあらゆるもの、ことは、この宇宙をすら例外とせず、すべて無から生じて無に還るだけのことだと考えられています。仏法は、本来、異界や死後世界の実体性を説きません。そのことは、世親や曇鸞、そして親鸞たちの重々わきまえるところであり、彼らは、この現生で煩悩にまみれ、まさに五欲に縛られたわたくしどもの心の清浄化ということに意を集注しています。このことを踏まえるなら、前者、すなわち「煩悩即菩提」(生死即涅槃)の意味するところも、ほぼあきらかになってくるように思われます。

 煩悩とは、「五欲」に代表される人間の欲望、ないし欲求であり、菩提とは平静な心による透徹した覚りを意味しています。煩悩は惰性や本能に起因するのでしょう。一方、菩提は、西欧的な表現をするなら、理性をとおして、わたくしどもがそこへと導かれる心の態様です。したがって、「煩悩即菩提」とは、惰性の奔出と理性の完整とが、まさに西田の言う「逆対応」のごとくに、相反するがゆえに逆に呼応し合うという事態と規定できます。さて、情と理とは相互対応しうるものなのかどうか。すなわち、わたくしどもは、情性をほとばしらせながら、同時的かつ逆方向に理的静安を保てるものなのか。それこそが、「煩悩即菩提」(生死即涅槃)の具相的意味を問う際に、最も重大な問題となってまいります。おそらく、人間とは、情一辺倒に偏っても、理のみに即するだけでも、それだけでは生きられない存在であろう、とわたくしは思います。洋の東西の別なく、人はみな、情性と理性の狭間(はざま)に生きるもので、どちらか一方のみを旨として現実生活を送ることなどできないのではないでしょうか。情性は自然(じねん)に、おのずから湧き上がるもの、理性はみずから意志して構築すべきものととらえることが妥当であるならば、竹内整一さんが生前にいくたびも述べておられたように(『魂と無常』など参照)、人は情と理、すなわち「おのずから」と「みずから」との「あわい」を生きているのかもしれません。

モミジに彩られた当山の黒門
モミジに彩られた当山の黒門

   くれぐれも留意すべきは、情は無脈絡な奔流などではないことです。理性は推論能力たることを本義とします。それは、AならばB、BならばC……と着実に理路を辿る意識態様にほかなりません。それとはまた質を異にするのでしょうが、情にも、かくなればしか感ずるという筋道、言いかえれば理(ことわり)があります。わたくしは、それを「情理」と呼びたいと思います。「煩悩即菩提」(生死即涅槃)とは、厳密にとらえるなら、理性的情性、つまりは「情理」に根ざす思考を語りいだす言説と申せましょう。情理は理的側面から見れば理性にも近いのでしょうが、情性面のみを閲(けみ)するなら感情性により近づきます。そういう意味では、情理は理と情の「あわい」、すなわち両者の複雑なる交差面に萌すものとも言えます。

 

 心の底を揺り動かし、理による制御が不能となる情、すなわち激情には、おそらく何の脈絡もないでしょう。激情を放置し、野放しにしてしまうと、人は自分自身でもそれを抑ええなくなり、ヒステリックに逆上してしまうものです。そのことを知るがゆえに、西洋古代のキティオンのゼノンを始祖とするストア学派の哲学者たちは、理性の力を以て感情を抑止する境地、すなわちアパテイア(無感不動)を人間にとっての理想的態様と見なしたのでありましょう。また、釈尊が、覚らんがためには、静かに正しくもの、ことの実相を見きわめる「正見」が肝要だと説いたのも、感情の奔逸の不条理性を認識するがゆえだった、と思われます。情の衝動的な発出は、五欲としての煩悩を晴らしてくれるかもしれません。ですが、そのような煩悩のただなかを漂い流れていたのでは、わたくしどもは、けっして菩提(覚り)にはいたりえないでしょう。情は情に特有の理路、すなわち情理によって系統化され統御されるとき、はじめて菩提への道へと進みゆくものと考えられます。

 煩悩は情以外の何ものでもありません。その基盤となるのは本能としての本性(ほんせい)でしょう。仏法は、生(なま)のままの煩悩、在るがままのそれを肯定するわけではありません。だからと言って、仏法、殊に大乗は、情を圧殺したりはしません。情のただなかに生きて在るという人間のいま、ここでの実態性を認め、その実態性の裡に覚りへといたる道行きを探るのが、真の仏法です。「正見」は純理性的ないとなみではなく、情理に衝き動かされた心のはたらきでもあるということです。むろん情は明確に説明できないことも少なくなく、時に矛盾し、理とのあいだに葛藤を生ずることも、しばしばです。その矛盾、葛藤を仏法はいかにとらえるのか。つぎにそれを問うてみたいと思います。まず、一見すると仏法とは直接に関わりはしないように思える、日常生活のなかでのわたくしの実見例を挙げておきましょう。

 自宅近くのコンビニエンスストアーのイートインスペースの椅子に腰かけて、コーヒーを飲んでいたときのことでした。わたくしの隣席に、高校生とおぼしい2人の少女が坐って、たわいのない恋愛譚に興じていました。ことば遣いから判断するに、一方が他方よりも年長のようでした。かりに年長のほうを少女A、年下を少女Bとしておきましょう。Aが言っていました。「あたしは、男子とつきあうと、好きな面と嫌いな面とがはっきり分かれちゃうんだよね」と。そのことばにBがこう反応していました。「あたしの場合、彼氏の嫌いなところを含めて全部好きなんです」。Aは恋の相手(たぶん少年でしょう)について、好きな面はひとえに好き、嫌いな面はあくまでも嫌いとし、2つの相反する情を截然と区別しています。西洋風に理性的に考えると、Aの言は無矛盾的に理路がとおっていて、至極合理的です。他方、Bの言は、結局嫌いであるがゆえに好きだと言っていることになりますから、理性に沿うならば、決定的な齟齬、あるいは矛盾をきたしていると言うしかありません。現代人の通常の判断では、当然そうなります。しかしながら、即非の論理に立つなら、Bはそれなりに筋目のあることを語っていると見ても、大過ないでしょう。「好きは好きでない(嫌いだ)、ゆえに好きだ」と彼女は言っているわけですから。

 Bがはっきりと意識しつつ仏法の論理に即して語っているとはさすがに思いません。Bは、Aとの対話内容から推するに、情緒的にして感情的なごく普通の10代の少女のようでした。現代の日本の若者は仏法の論理どころか、その基本テーゼにすら何の関心もいだかずに生きているのが通例ですので、Bが仏法を踏まえているはずもはないと考えてよいでしょう。にもかかわらず、そんなごく普通の少女さえもが、無意識理に仏法の論理をそのことばのなかに具現させています。そこに着目するなら、かつては仏法国だったこの日本という国、国民の「宗教ばなれ」が取り沙汰されるこの国において、なお人々の日常生活のなかに仏法が息づいていると見ても、あながち見当ちがいとは言えないように思います。「嫌いであるがゆえに好き」。そう語っているにも等しい少女Bならば、「煩悩即菩提」(生死即涅槃)という論理もありうるのだと教えれば、「そうなのか」と素直にそれに服するのではないでしょうか。

当山近郊にて
当山近郊にて

 生死がない合わされている現世、つまり、生きることと死ぬこととが薄皮一枚でつながり、生と死とを截然と区別できない現生(生死の世界)に生きて在ることが、そのまま涅槃、すなわち寂静の安寧だという認識。この認識に立つ仏法徒は、本来、現生を超越する楽園としての異界をかりに頭に思い描くことはあっても、そのような別世界の実在を信じてはいなかったはずです。まさに現生のただなかに在って、静謐の安らぎを得、そして「無我」を覚るということ。それこそが、「煩悩即菩提」(生死即涅槃)という定式的表現の具相にほかなりません。わたくしどもは、いっさいが無我に帰することを、いつもすでにというわけにはまいりませんが、時として「正見」を以て覚ることがあるはずです。しかも、その覚りの場は、「我」(が)の意識に満ち充ちた、五欲燃え盛るいま、ここ、すなわち現生以外にはありえません。それゆえにこそ、仏法、殊に大乗は、「煩悩即菩提」(生死即涅槃)と断言するのです。

 そうすると、ふたたび、大乗の一支脈たる浄土門の浄土観が問題になってまいります。仏法はもとは超現世的異界を想定しませんでした。釈尊は、いのちは無に発し、無に帰すると説くのみ。ならば、西方極楽浄土という楽園としての異界を想定する浄土門は、みずからを仏法と称しうるのか、という疑義が頭をもたげてきます。前回(第7回)くわしく説いたように、浄土とそこに鎮もりいます仏、菩薩たちについての観想、観相を重視する善導や、「ひとえに善導一師に依る」と述べる法然、あるいは、天台浄土門の祖師源信たちは、浄土を場所として実体視する認識を示していました。そのような認識のもとでは、この現生でいのち絶えてのちに浄土に往くという発想が常態化します。源信にいたっては、手ずから「山越しの弥陀」という来迎図を描くほどに、死後世界たる浄土に焦がれていました。しかしながら、親鸞は、そうした先達たちと、ある意味では袂を分かち、浄土を浄化の作用性と見なし、それをこの現生においてはたらくものととらえています。龍樹や世親以来の浄土門の思想的伝統に立つという意味では、親鸞の浄土観こそが正統と言えましょう。ところが、浄土の純粋浄化作用たる性格を強調しつつも、親鸞はその一方で、浄土を異界の楽土として場所化しています。最晩年に坂東の門弟たちに書き送った書信のなかで、彼は、いくたびか「浄土にてお待ち申している」という趣旨の言説におよんでいるのです。これは、理性の理路を以てのみ考量するなら、あきらかに矛盾であり、論理的な破綻となります。さて、わたくしどもは、これをどう解釈すべきなのでしょうか。

 

 

 要を言えば、親鸞は、場所的世界でないものが、同時に場所的世界でもある、と考えているということです。親鸞が、主著『教行信証』行巻掉尾の「正信念仏偈」でうたう、「不断煩悩得涅槃」、すなわち、「煩悩を断たずして涅槃を得る」という言説ならば、悪人正機説と同じく、西田の最終的な境位「逆対応」の論理を以て解きあかすことができます。ですが、浄土は実体ではなく純粋用(じゅんすいゆう)=純然たる作用性であるという言明と、浄土は実体的異界たる場所であるという命題とが対応し合うことはありえません。両者が逆方向で呼応するという事態は起こりえませんので。この論考でもすでに指摘したように、西田はどうやら鈴木大拙の言う「即非の論理」を西洋哲学風の論脈で語ることをめざして「逆対応」という新造語を用いたようです。その新造語が適用されえない、つまり的確な説明にはならないという事態が、いま、親鸞思想をめぐって生じています。ならば、いったん、「逆対応」の論理を括弧にいれてそれについての判断を停止させ(現象学風に言えばエポケインして)、『金剛般若経』漢訳本に戻るべきでしょう。その経に説かれる、いまのわたくしどもから見ると、一種異様なおもむきを呈する論理を、さらにもう一度ここに挙示してみましょう。

 

AはAでない、ゆえにAである。

    

 この論理を生(なま)のまま適用すれば、一見矛盾にしか見えない親鸞の浄土観が、一貫性を有するものとして再浮上してまいります。すなわち、親鸞は、こう主張していると解することができるのです。

 

浄土は浄土でない(穢土である)、ゆえに浄土である(穢土でない)

 

 要するに、西洋的な理性の理路をいったん離れ、別の角度から理的筋道を追えば、「浄土は場所でないがゆえに場所である」、と推しうるということです。この論考をお読みくださっているかたがたのなかには、それでもなお理解に苦しむとおっしゃる向きもあるでしょう。そこで、理性の理路を求めるのを完全にやめて、情性の「ことわり」を、言いかえれば、「情理」を先立てることによって、当面の問題をとらえなおしてみましょう。

当山境内にて
当山境内にて

 「正信念仏偈」の「不断煩悩得涅槃」に話を戻します。親鸞は、煩悩まみれでしかもそれを断てないからこそわれらは涅槃を得て寂静なる「覚り」にいたる、と言っています。くりかえしになりますが、親鸞がいかにそれを強調しているにしても、ごく常識的に考えるなら、奔逸する五欲に身をゆだねきり、煩悩にとらわれたままで覚りを得ること(得涅槃)などありうべくもないはずです。けれども、もしわたくしどもが煩悩に鎖(とざ)されて欲動のかたまりとなっている己れを、距離を置いて凝視する姿勢をとりうるとすれば、事態は大きく変わってきます。煩悩まみれの自己を冷静に見つめて「このままではだめだ」と痛感するにいたれば、わたくしどもは、現に生きて在る自己自身の醜く劣悪なさまを体感し体認することとなりましょう。それでもなお、「このままでもかまいはしない」と煩悩具足であることに開きなおる者は、まさに謗法(ほうぼう)の徒、あるいは一闡提(いっせんだい)とも言わざるをえません。むろん、謗法、一闡提であろうとも、廻心して自己を信の世界へと「転」ずれば、如来の救いの手に摂め取られるというのが、親鸞はじめ多くの仏者が説くところではあります。しかし、己れの邪悪なる在りようについてまったく無反省な謗法闡提ではどうにも救われようがありません。悪しき心が如来に救われなければ、当然のことながら「覚り」うる可能性も消尽します。煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の自己を見据えながら、そのような自己をみずから「転」じようという、廻心の意思をもつことによって、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)なるわたくしどもが救われ、そして如来の加被力(かびりき)によって覚らせていただく(成仏させてもらう)というのが、親鸞の真意であることは、疑いようもありません。ですから、煩悩具足の汚穢の徒であるがゆえにわたくしどもは救われて覚りうるということになるのです。救済は他力ですが、救済されるには、悪性の自覚という自力が不可欠ということでもあります。

 逆に申しますと、己れの心の裡に煩悩を見ない者、すなわち、実際には五欲にとらわれきっているにもかかわらず、その事実に気づかない「善人」は、救われて覚らしめられる機会をもちえない、ということです。それゆえに、親鸞は、「自力作善の人は……弥陀の本願にあらず」と断じ、善人の往生の可能性をきっぱりと否定するのです。己れが煩悩のかたまりだとみずから認めてそれを悔いるがゆえに、人は救いと覚りに与かりうる。親鸞は、そういう想いを込めて「不断煩悩得涅槃」とうたったのです。浄土を一方で清浄化の純粋作用性ととらえながら、他方ではそれを場所的世界と解するという矛盾的な親鸞の言説についても、これに類する思考の型を想定することができます。すなわち、理性によってではなく、情理を以て事をとらえるならば、2つの理路が切り拓かれるでしょう。情理の理に重点を置いて考量するなら、浄土は純粋作用性となり、情に重きを置いて推すればそれは場所的世界として解されうる。そういうことだとわたくしは思います。理たる姿も情性も、ともに情理に統御されつつ、2つながらに両立する。よって、浄土は場所でなくしてしかも場所である。親鸞はそう考えるがゆえに、坂東の門弟たちに向かって、「浄土にてお待ち申している」と語りつつ、同時に、浄化のはたらきそのものとしての浄土によって自身が清められることを願ったのです。

 このように見てくると、親鸞思想が仏法の理、なかんずく大乗の論理によって貫かれていることについては、否定の余地はほぼ皆無と申せましょう。鈴木大拙の言う「即非の論理」はもとよりのこと、西田幾多郎の、欧文脈対応型の「逆対応」の論理も、ともに親鸞の思考方式を的確に衝いていると言えます。ただし、大乗が提起しているのは、理性の論理ではなく、情性の論理たる「情理」だとわたくしは考えます。そして、「情理」とは、この論考において、わたくしが独自の判断のもとに提示した概念であり、普遍化はもとより一般化すらされておりません。鈴木大拙の「即非の論理」や西田幾多郎の「逆対応」と同じく新造語です。それゆえ、「情理」については、さまざまな誤解が生ずる怖れがあります。「情理」とは、読んで字のごとく、情の理(ことわり)という意ですが、それを主情性、つまり、理性を軽視し、情性のみを重んずるものと解する人々があらわれるのではないかと危惧されます。何よりも情、殊に人情が大切でそこに理的判断を加えるべきでないとする主情主義は、現実の人間生活において時に有効ではあるものの、それはわたくしの説く「情理」とは本質的に異なるものです。大乗の論理に関しては、これまでの本論考の考究によってその何たるかがほぼあきらかになったか、と思われます。しかし、想定される誤解を避けるために、さらに、いわゆる主情主義と「情性」論とのちがいについて論じておきたいと思います。それは、親鸞の日本的無常観に対する態度に関しても、重要な意義をもつことになります。古来、日本人は、「諸行無常」という仏法の哲理を、主情的に、もの、ことの移ろいに美を見いだす「無常美感」という形でとらえてきました。四季の流れのなかでたゆたい変化(へんげ)するもの、ことに「あはれ」を覚える原初的心性が仏法の哲理と交錯してしまって、その哲理が抒情的に感傷化されたのです。しかし、親鸞は、そのような「無常美感」には一言だに触れませんでした。なぜ親鸞は黙したのか。それを知るためにも、「情理」の意義をきわだたせておきたいと思います。

 

 

 人間の情を重視する日本的主情主義の思想の代表格として一般に挙げられるのは、本居宣長の「もののあはれ」論でしょう。宣長に言わせれば、「もののあはれ」とは、人が感ずべきもの、ことにしかるべく感応することです。人の情、とくに悲しみ(哀しみ)をわが悲しみとしてともに悲しむこと、いわば「共悲」の境位が、宣長の「もののあはれ」論の核をなしています。喜びや怒りは、その主体が単独にいだくものであって、他者の共感をかならずしも必要とはしません。ですが、悲情や哀情は、それを共にしてくれる他者がいてくれることで慰められる感情ですから、どうしても共感、感応を不可欠とします。共悲すべきを共悲する。それが、宣長の主張する「もののあはれを知る」という人間的心性の在るべき姿です。

 ただし、「もののあはれを知る」という境位は、宣長の「古ものがたり」の研究、殊に『源氏物語』の研究から導きだされたもので、彼の発明に因(よ)るものではありません。『源氏物語』は性愛の文芸です。平安朝の権力者たちを彷彿とさせる記述はあるものの、作者紫式部の「女」(にょ)性から発せられる性愛への希求が全篇にみなぎることは、否定すべくもありません。もっとも、紫式部の手に成るその「ものがたり」は、性愛の生々(なまなま)しい姿、たとえば性交そのものを描くわけではありません。そこでは、性交へといたるまでの男女の半ば様式化された文化的かつ文学的な情性の機微が、美麗な文体を以て克明に描写されており、それを追体験することこそが、読者の最大の欲求だったと推測されます。ところが、江戸期にはいり、支配階層たる武士たちの道徳規範がおもに儒学、殊に朱子学となったころから、『源氏物語』は「色好み」を戒める徳義的文芸作品と解されるようになってしまいました。道徳的規範性に沿って、さらに言えば、日常を律するしかつめらしい徳義観に即して、この「ものがたり」は、その核となる作家の魂を奪い取られたのです。宣長は、そうした道学者流の強引な読みかたが、文芸の自尊性と自律性とを無みすることに対して危機感を覚えました。それゆえに、宣長は、『源氏物語』をはじめとする「ものがたり」は、「もののあはれを知る」という、文芸独自の価値規準のもとに評されるべきだ、と主張したのです。

伊勢神宮
伊勢神宮

 「もののあはれを知る」という境位を、宣長は、ただ文芸理解の方途にのみかぎるわけではありません。それは、わが国に特有な人情の自然をきわだたせるものとしてとらえられることも、しばしばです。その場合、「もののあはれを知る」境位は、儒仏老荘という外国思想から切り離されて、わが国独自の「古道」(いにしへのみち)を具現するものとも解せられます。またさらに、宣長は、為政者が「もののあはれ」を解すれば、民の悲苦が的確にとらえられ、その結果、政治全般がより佳きものになる、とも主張しています。ですから、宣長の「もののあはれ」論は、文芸の自律性を追究するための原理にはとどまらず、日本人の心性の全般的清浄化のための「道」を、すなわち「漢意」(からごころ)では把握不能な日本人独得の生きかたを規定する思想論たる意義を担うこととなります。ただし、ここで注意を要するのは、宣長が「あはれ」と感ずる情性の赤裸々な横溢(おういつ)を求めているわけではないことです。宣長によれば、他者と悲苦を同じうすること、すなわち他者への深い思い遣りとしての「あはれ」感は、筋道だったものでなければなりません。たとえば、平安期の貴族たちの愛恋は、情動の端的な発出たることを許されません。彼ら彼女らの愛恋は、一定の文化的約束ごとに沿って進められます。まず、男性が女性を垣間見て、彼女に魅(ひ)かれれば歌を贈る。女性の側は贈られてきた歌の良否を判断して、応否いずれかの立場を婉曲に伝える歌を返す。それは煩瑣に儀礼化されております。が、その儀礼化は、情性の理路に沿った複雑化と曲折化とを伴うことで、愛恋に様式美をもたらします。人間の男女の愛恋は、鳥獣のそれとは質を異にするはずです。鳥獣の愛恋は本能的情動の発露にとどまるでしょう。人間のそれは、理路を踏む情、すなわち「情理」に貫かれていなければならないというのが、古来、この国の貴族的知識層の共主観であったと言えます。それを踏まえて成り立つ宣長の「もののあはれ」論は、「情性」の筋道を追尋してゆくことに重きを置いていました。

 ですから、宣長と彼の思想に共感し、あるいは追随する人々は、ただの主情主義者とは言えません。彼らは、はなから情の生(なま)のままの奔出には無関心だったのであり、人情をいかにして情理として理(ことわり)づけるかということに意を用いていたのです。しいて規定するなら、宣長とその系統に属する人々は、なべて「情理主義者」だったと言うべきでしょう。屁理屈をこねまわすように見え、同時代の評者たちから「だるま歌」と批判される歌を詠んだ藤原定家。そんな定家が編んだ、情理性のきわだつ歌集『新古今和歌集』を愛好した宣長は、師賀茂真淵のような、生(なま)の情の奔出を単純の美として評価する嗜好をもちませんでした。宣長と彼の継承者たちは、けっして国家主義者でも保守反動論者でもありません。彼らは、思想や文芸を情理面から解こうと試みただけのことです。

 ただし、わたくしの説く「情理」に関しては、情理の典型化を、つまりパターン化を危ぶむ声が上がる可能性があります。理(ことわり)化とは、それが何ごとについてであれ、もの、ことに一種のかせをかけることでもあります。たがをはめると言ってもよいでしょう。ならば、情が理化され、整序される場合、自由な発想が規制され、そこにパターン化が起こることは避けられません。パターン化された情理を映しだす思想や文芸など陳腐で無価値だと言いきる人も少なくないでしょう。しかしながら、パターン化を悪しき事態だと断定する根拠はいったいどこにあるのでしょうか。

 わたくしが愛誦している現代俳人の句に、つぎのような作があります。

 

母の歌風に途切れる蓬摘み(伊藤淳)

 

幼な子を伴い、田の畔で蓬を摘みながら、ひとりの母親が歌をうたっている情景が眼に浮かびます。蓬が育つ季節には強い風が吹くことがままあります。幼な子はたぶん作者自身なのでしょう。作者は、母の声が風音によってとぎれとぎれになった、そのときのことを、自身もまた母となって蓬を摘んでいるときに想い起こしたのでしょう。過去についての記憶と現在の作者の姿とが交錯することで、しみじみとした情感を抒べる秀句だと思います。なぜこの技巧上にてらいがなく彩もないこの句が、読み手や聞き手の心を打つのでしょうか。理由は単純です。母性のイメージ、季節風の吹きかた、蓬摘みが蓬餅を作るべく行われていることなど……パターン化された情理が、感興をもたらし、だれもが詠まれた情況のなかに自己投影できるからです。

当山境内にて
当山境内にて

 もうおわかりいただけたのではないでしょうか。生(なま)のままに奔逸する情は、それと相対する者にとって、ヒステリックな叫びの域を出ません。かりにヒステリックとまでは言えないにしろ、それは、相手の心を鉄のツメでかきむしるような情動にしかなりえないでしょう。つまり、情性は、理を伴い理に支えられて情理となり、そして、パターン化されたときにこそ、他者の共感を深くかつ広汎に呼び起こすということです。大乗の論理は、このような情理、典型化されたそれによってとらえられるのだ、と申せましょう。

 煩悩がそのまま菩提でもあること、言い変えれば、生死転変の世界に在ることが静謐なる覚りに直結すること。それは、静かに落ち着いて、己れの理化された情性を見つめることにおいて理解され、体得されます。「諸行無常」の相を、美的情性に根ざして「あはれ」と感ずるだけでは、移ろいの真景をとらえることなどできません。それを知るがゆえに、親鸞は、生のままの情性としての美感のもとで「無常」を説くことをあえて避けたのでありましょう。西欧型のロゴスの論理、すなわち、「ことば」そのものとしての理性の論理ではいかにしても得難い認識が情理をとおして獲得されうることを、大乗の論理は、はっきりと示しているのです。それに思いを馳せるなら、情理をとらえきれていない人、あるいは情理の人間世界のなかでの実在に眼が届かない人は、大乗の真の姿、ひいては釈尊の仏法の真相に近づくことなどできはしない、と断言してもよいでしょう。すると、情理を解しえぬ人は、親鸞思想の本質に近迫する機会をもてないと考えられます。親鸞思想は、大乗の一支をなしつつ、さらに釈尊の仏法をも強く意識するものなのですから。

 

AはAでない、ゆえにAである

 

 『金剛般若経』漢訳本があらわに説くこの論理を、親鸞思想に即して「逆対応」と名ざした西田幾多郎の思索は、強靭(きょうじん)にして的確なものでした。それを「即非の論理」として定式化した鈴木大拙の仏法観も、傑出していると申せましょう。わたくしどもは、このような、先哲たちの卓れた功績のもと、仏法についての理解を深めることができます。しかしながら、それは、西田幾多郎や鈴木大拙の遺考に触れていない人々には仏法がわからないということではありません。

 わたくしども日本人の心の奥底には、仏法、わけても大乗の伝統が、仏法伝来以来の1600年の歴史のなかで、いつのまにか染みついています。たとえ西田や大拙の名すら知らない人であろうと、金剛般若の論理に出逢えば、それをかならずや情理を以て解き知ることができます。どこにもありはしない死後世界をキリスト教的に「天国」などと称しているような思想上の根なし草となってしまった人々も、あるいは、縁もゆかりもないキリスト教の記念日(たとえば、復活祭やクリスマス)を祝っている人々も、おそらく例外ではありますまい。お浄土という語も、釈尊降誕の日も知らず、仏法の内実もよくわからずに仏法を侮っている人々も、先祖代々の血脈のうちに刻みつけられた大乗の論理とまったく無縁のままに生きつづけることはできない、とわたくしは確信しています。このような確信を述べることを以て、わたくしは今回(第8回)の稿を閉じることにいたします。

 

                                                        (令和7年4月20日)

現在の開門時間は、

9:00~16:00です。

 

今年の 市民大学講座(サマーセミナー)は 7月12(日)、ご講師とタイトルは伊藤益先生「煩悩即菩提の論理」の予定です。

*お申込み受け付け期間は6月10日(水)~7月9日(木)です。

*詳細についてはメニューより「公開講座・Seminar ご案内」をご覧ください。皆さまのご参加を心よりお待ち申し上げております。(2026.06.05)

 

【イランのナショナリズム

       とイスラーム】
 トルコからイランに国境を越えて行ったことがある。ホメイニの写真が大きく掲げられたゲートを入ると、イランは台湾と並ぶ大の親日国だった。「日本は天国だ・大好き❤/戦後復興はミラクル(ロシアにも勝ったし(@o@))」とは、訪れた先々で聞いた言葉だ。
 日本の人々は、イランを「恐ろしい反米の独裁国家」と思いがちだ。だが、実態は全く違う。彼らはハリウッドやジャズやコカコーラ好きで、ガチガチのイスラーム主義に染まった国民たちではない。今回のように無茶苦茶なミサイル攻撃を受けても、彼らはイスラームの下に団結して徹底抗戦しようという決意を固めてはいない。
 それは何故か?
 近現代における団結の基礎は、フランス革命後に各地に広がったナショナリズムだ。日本でも、建国神話と天皇制に始まり『万葉集』や『源氏物語』に日本人や文化のルーツ・特色を見出すことで、愛国心を醸成しようという動きが伏流水のように存在する。ところがイランでは、このようにナショナリズムの原点を突き詰めていくと、イスラーム以前に遡ってしまう。彼らは、アケメネス朝ペルシア帝国(前6~前4C)やササン朝ペルシア帝国(後3~7C)という、ギリシア・ローマ世界(地中海文明圏)に拮抗する一大勢力圏・文明圏を作り上げていた。その辺境に過ぎなかったアラビア半島の一角で、しかも未開と思われていたアラブ系の人々が作り上げたのが(7C)、イスラーム教だったからだ。
 すなわち、イラン国民たちが団結を求めて自らのルーツに眼を向けるとき、彼らはイスラーム教やイスラーム文化を、後進地域から出てきた外来の宗教・文化として相対化して捉えることになる。これが、“イスラーム法学者による統治”を掲げる「ホメイニ体制」に彼らが染まっていない理由なのだと思う。(2026.03)

 

昨年に続き 三門博を記念した浪曲会5月7日(木)13:00より当山本堂にて開催します(一般の方2000円)。浪曲師は三門綾氏、曲師は広沢美舟氏、落語は万葉亭小太郎氏です。詳細はお電話にてお問い合せください(2026.04.01)

⇒終了しました。

 ご来場いただいた皆さま、

 ありがとうございました。

    

 

internet市民大学伊藤益先生【第8回:大乗の論理―煩悩即菩提】をUPしました。左側のタブよりお入りください。4月に原稿を頂戴していたにも関わらず、UPが晩秋になってしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。(2025.11.20) 

                

今年度の庵田米(新米)の販売を開始しました詳細は左側タブ「庵田米の販売について」をご覧ください。

       (2025.10.3)

 

「市民大学講座2025」7月20日(11:00~15:00)に開催します。ご講師は当HPのinternet市民大学に続けてご投稿くださっています伊藤益先生(筑波大学名誉教授)です。

詳細は左端のタブ「公開開講座・Seminar のご案内」をご覧ください。60名のご受講者があり盛況のうちに終了した昨年と同様に、熱気に包まれる講座となるものと思われます。ご参加をお待ちしています。               (2025.6.22)

 ★6月24日に受付開始します。

⇒終了しました。受講される方々で、会場の座席は全て埋まり、活発な質疑応答が繰り返されました。 伊藤先生・ご参加の皆様、ありがとうございました。      (2025.07.21)

 

 

【浪曲会のお知らせ】

5月5日(水)に、ご本堂にて浪曲会が開催されます。この浪曲会は、昭和の浪曲師、三門博さんを偲んで、お弟子さんたちによって企画されたものです。三門博さんのお墓は当山の墓地にあります。

皆さまお誘い合わせの上、どうぞご参加ください。

(2025.4.27)

 

⇒終了しました。

 ご来場いただいた皆さま、

 ありがとうございました。

 

日時:2025年5月5日(水)

   開場12:30 開演13:00

出演:三門 柳 三門 綾

   曲師:広沢 美舟

ゲスト:万葉亭 小太郎(落語)

 

チケット料金:

 ご予約・当日ともに2000円

 

◆ご予約・お問い合わせ

090-5969-8769

       (三門 綾さま)

[email protected]

※終了しました。

筑波大学名誉教授(日本思想)伊藤益先生のご講義【第7回】     

「浄土論―仏法は宗教なのか?―」(後半)をUPしました。左端のタブ「internet市民大学」よりお入りください。掲載まで時間がかかってしまいましたこと、お詫び申し上げます。      

         (2025.3.18)

 

除夜の鐘」の催しがあります(23:45~01:00前後)ので、ご参加ください。 大晦日は、23:40に再び開門します

      (2024.12.31)

⇒昨年以上のご参拝があり、そして穏やかな新年を迎えました。今年こそ、幸せな1年でありますように!(2025.1.1)

 

境内の「お葉付きイチョウ」が見頃を迎えています。

ぜひお立ち寄りくださいませ。

(2024.11.20)

2024年度の新米が入荷しました。今年の新米も昨年同様ローズドール賞(最優秀賞)を受賞した新品種「ゆうだい21」です。詳細は左端のタブ「庵田米の販売について」をご覧ください。    (2024.10.04)

 

筑波大学名誉教授(日本思想)伊藤益先生のご講義【第7回】     

「浄土論―仏法は宗教なのか?―」(前半)をUPしました。左端のタブ「internet市民大学」よりお入りください。      

         (2024.9.23)

 

【馬頭琴と朗読のコンサートのご案内】

11月に、馬頭琴と朗読のコンサートが当山本堂にて開かれます。

馬頭琴・喉歌は嵯峨治彦さん、朗読は見澤淑恵さんです。お2人とも様々な場面でご活躍なさっています。

この機会にどうぞ、馬頭琴と朗読の素晴らしいコラボレーションの世界をお愉しみくださいませ。詳細は以下のチラシをご覧ください(PCをお使いの方は、左メニューの「スマホ用の速報掲示版」より、大きいサイズでご覧いただけます)。

(2024.9.23)

⇒終了しました。

 ご来場いただいた皆さま、

 ありがとうございました。

(2024/11/20)

 

日程2024年11月17日(日)

   14時~15時

  (13時30分 開場・受付)

演目:芥川龍之介「蜘蛛の糸」  

   ほか

場所:稲田禅房西念寺 本堂

  (茨城県笠間市稲田469)

 

チケット料金:前売り2000円

       当日 2500円

 

◆チケットは以下のフォームよりお申し込みください。

 お檀家の方は西念寺へお問合せ・お申し込みください(檀家割引あり)。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScEiSUwHIRGfjPk0WfRn6-sSnAad4lZPtssVJAslC3Cx4x8dQ/viewform

※終了しました。

「市民大学講座」7月14日(11:00~15:00)に開催します。ご講師は当HPのinternet市民大学に続けてご投稿くださっています伊藤益先生(筑波大学名誉教授)です。詳細は左端のタブ「公開開講座・Seminar のご案内」をご覧ください。満席の上に質疑応答で40分の延長となりました昨年と同様に、暑さに負けない熱い講座となるものと思われます。ご参加をお待ちしています。(2024.5.30)

★6月15日に受付開始します。

⇒60名のご受講者があり、盛況のうちに終了しました。次回を楽しみにお待ちください。

       (2024.7.15)

 

親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年を記念した前進座特別公演「花こぶし」の水戸公演が2月に行われます。

詳細は左端の「お知らせ」タブより「行事日程と工事予定」をご覧ください。

(2024.1.11)

⇒ご鑑賞、御礼申し上げます。

 

「除夜の鐘」をつきます。23:50~01:00頃。ご参拝ください。   (2023.12.31)

⇒ご参加・ご参拝ありがとうご

 ざいました。(2023.01.1)

 

書籍の販売コーナー宿坊にございます。左端のおしらせ→書籍販売コーナー新設のご案内とお進みください(写真がご覧になれます)。また、当山のパンフレットオリジナル絵葉書その他の記念品があります。宿坊の売店にてお求めください。パンフレットと絵葉書は、ご本堂内にもございます。