稲田御坊の名で親しまれている稲田禅房西念寺は、親鸞聖人が恵信尼公とともに約20年の間お住まいになり、聖典『教行信証』のご執筆を進められつつ、関東一円へのご布教にあたられた浄土真宗の聖地に建立されました。聖人が家庭生活を営まれ、お子様方をお育てになったのも、「稲田ご草庵」時代のことです。
 聖人を越後よりお迎えした稲田九郎頼重(よりしげ)は、聖人に帰依して頼重房教養(らいじゅうぼうきょうよう)となり、当山の礎を築いたと伝えられています。稲田ご草庵の伝統は、この地に脈々と残り、今に至りました。
 昼なお暗い参道をふみ茅葺きの山門をくぐれば、境内には樹齢800年の巨木が茂り、「峨々たる岳山あり…数千万億の有情群衆せり」と聖人が夢見られた山々の稜線は、比叡の峰を彷彿させます。

 

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ご連載とスプリングセミナーをご担当くださっていました加藤智見先生は、膵臓ガンのため8月30日にご逝去なさいました。慎んでお悔やみ申し上げるとともに、長年のご執筆・ご講義を心より御礼申しあげます。また、今井雅晴先生のご連載は、ご多忙のため第28回(7月1日)をもって修了とさせていただきました。長期のご連載ありがとうございました。皆さまのご愛読に心より感謝いたしております(9月17日)。


「夏の市民大学講座」(7月15日・16日)は、盛況のうちに修了しました。今井雅晴先生(筑波大学名誉教授)・阿部能久先生(鎌倉国宝館学芸員)のご講義に、受講生の皆さんは親鸞聖人に対する理解が深まったようです。また、山本義隆先生(科学史家/駿台予備学校講師/元東大全共闘代表)の公開講座は、満員の会場で質疑応答も含めて1時間半におよぶ大延長になりました。日本の科学政策に関する問題点はもちろんのこと、東大全共闘に関するお考えも伺うことができ、割れるような拍手をもって終わりました。暑さを吹き飛ばすような皆様の熱いご声援、ありがとうございました(7月16日)

 

 

近頃「笑っちゃう」ことが多い。首相ともなればジョークのセンスも一流である。

  (1)

唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約への参加を拒否した国が、近くの国の核実験を非難できるのか? 冗談を言うにも首相の顔が真剣である点が、役者として素晴らしい。

  (2)

政治空白を危惧して緊急事態条項を憲法に盛り込もうとしている政党の党首が、近くの国のミサイルが上空通過を繰り返している状況下で、衆議院を解散して政治空白を自ら招こうとしている。政治空白への危惧はどうした? 近ごろ物忘れが激しい本HP管理人と同じである点が、人間として嬉しい。

そもそも、制裁の強化は強い反発を招くだけだということは、歴史を見ても明白であろう。     (a)

蘭印の資源確保をめざした南部仏印進駐(1941.7.28)に対して石油の全面禁輸が行われると、日本政府はABCD包囲陣と喧伝して国内の引き締めを図り、海軍は真珠湾攻撃の準備を始めたのではなかったか?

(b)

ヒトラーに裏切られた」ことを挙げ(管理人註:英仏両国の「宥和政策」を指す)核武装など対抗手段の強化に賛成する投書が新聞に掲載されていたが(朝日9月17日)、余りにも過酷なドイツに対するヴェルサイユ条約(1919.6.28)こそがヒトラーの台頭を許したのではなかったか? 果てしない核軍拡の果てに何か起こるか、想像してみてほしい。幸いに戦争に至らなくても、一層の国庫の窮乏を招くのみである。

「制裁」を口にしながらも、水面下で外交交渉が続いていることを信じたい。日独伊防共協定強化交渉の最中に独ソ不可侵条約が結ばれた時(1939.8.23)のように、はたまた日本の頭越しに米中接近が進展してニクソン訪中の予定が発表された時(1971.7.15)のように、ハシゴを外されることがあれば日本外交の一大失策である。

 

でも、独ソ不可侵条約の際に平沼騏一郎首相が「欧洲の天地は複雑怪奇と発表して内閣総辞職(1939.8.28)した前例を踏襲すれば、今回の「解散もあり」かな?   首相がそこまで見通しているなら、流石である(9月19日)

 
 

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