「親鸞聖人が生きられた時代の世界は?」 稲田 真乗(和光大学・駿台予備学校講師)

 親鸞聖人が稲田にお住まいになられた1210~30年代の世界、そして13世紀の世界は、どのような状況だったのでしょうか? 日本の歴史には詳しい「親鸞ファン」の方々でも、世界について語ることのできる人は多くありません。よって、しばし日本を離れて13世紀の世界情勢を見てみることにしましょう。世界の動きを離れて日本は存在し得ないのですし、はたまた狭い日本に視野を限定してはならないと思うからです。

 

 13世紀のユーラシア大陸は、まさしく「モンゴルの世紀」でした。
 まず東アジアでは、チンギス=ハンがモンゴル高原全体の大ハンの地につきモンゴル帝国を建設したのが1206年、ちょうど聖人が越後へ配流になる直前のことです。さらにチンギス=ハンが西夏征服の帰途に死去した1227年には、聖人は稲田草庵にご滞在中でした。そして、開封を占領する程の勢いのあった金帝国を、モンゴル帝国が完全に滅ぼしたのが1234年、まさに聖人が稲田から京都へ向かわれる頃のことです。モンゴル帝国は更に発展し、第5代フビライの即位(60)と建国(71)を挟んで、宋帝国(南宋)を滅ぼし中国全土を支配することになりますが(79)、この間の1262年に聖人は京都でお亡くなりになっています
 この時期には、東南アジアにも元帝国が侵入を繰り返しています。たとえばビルマでは、厚く仏法を奉じて多数の仏塔を建立したパガン朝(1044~1287・99)が、雲南より執拗に侵入を繰り返した元軍により滅亡へと向かっています。その一方でベトナムの陳朝(1225~1400)は、3度に及んだフビライの侵入を遂に撃退しています。なお、カンボジアではアンコール=ワットの造営(12世紀)で有名なアンコール朝(802?~1432)が衰退しつつあり、隣のタイではインドシナ半島に進出したタイ人たちがスコータイ朝(1257~1438)を建設しています。
  インド亜大陸に目を転じてみますと、イスラム勢力がデリーを首都に「インド初のイスラム政権」とされる奴隷王朝を樹立したのが1206年、ちょどモンゴル高原でチンギス=ハンが大ハンの地位に就いた年です。この後、少数派のイスラム教徒が多数派のヒンドゥー教徒を支配する構図が、19世紀後半にイギリスがインド支配を確立するまで続いていきます。
 次に西アジア~北アフリカでは、イスラム諸政権の興亡が続いていました。その中でもエジプトに誕生したマムルーク朝(1250~1517)は、十字軍の遠征を撃退して仏王ルイ9世を一時的に捕虜とし(1250)、さらにフビライの弟フラグの率いるモンゴル軍をシリアで打ち破る(60)程の強勢を示していました。小アジアは11世紀後半にトルコ化・イスラム化が進みましたが、その西部を舞台にイスラム勢力とキリスト教を奉ずるビザンツ帝国が激しい攻防を繰り返しています。まさに13世紀の小アジアは、「文明の衝突」の最前線でした。その混乱の中から、まもなくオスマン帝国(1299~1922)が建設され、強勢を誇っていきます。
  ヨーロッパでは、皇帝権(ローマ皇帝の伝統を受け継ぐ神聖ローマ帝国皇帝)と教皇権(ローマ教皇)の対立を経て、教皇権がイスラム教徒に対する十字軍(1096~1291)の中で、最盛期を迎えていました。聖人が関東へお越しになって間もない1215年に開催された第4回ラテラノ公会議では、席上で教皇インノケンティウス3世が“教皇権は太陽であり皇帝権は月である”と述べています。もっとも、十字軍は最終的に失敗に終わり、これを一因として教皇権の衰退が始まることになるのですが…。またイギリスでは、国王ジョンマグナ=カルタを発布したのが同じ1215年のことで、ここより曲折を経てイギリス立憲政治が発展していきます。さらに、スコラ哲学者のトマス=アクィナスが信仰と理性の関係を論究し、“信仰は理性を導き支えるもので、理性は信仰を明確にするための道具である”として「学問としての神学」を作り上げていくのは、13世紀中期のことです。彼の主著『神学大全』の執筆は、聖人がお亡くなりになった4年後の1266年頃に開始されています。
  この時期に、サハラ以南のアフリカではニジェール川流域でマリ王国(13~15世紀)が誕生し、サハラ砂漠の岩塩と“金は砂の中にニンジンのように生える”とウワサされたギニア山地の砂金の交易で繁栄しつつありました。経済・文化都市としてニジェール中流域の大湾曲部にトンブクトゥが発展していきます。

 アメリカ大陸はどうでしょうか? ユカタン半島を中心にマヤ文明の繁栄が続くとともに(~15・16世紀)、 アステカ文明(14~16世紀)を創り出すことになる一派がメキシコ中央高地に進出しつつありました。またアンデス地域では、インカ文明が黎明期を迎えています(~16世紀)。 いずれも、まだコロンブスがカリブ海に到達(1492)する以前のことです。

 

 ご聖人が活躍され、鎌倉幕府の統治が続いていた13世紀の世界は、以上のようなものでありました。 

 

筆者プロフィール

《略歴》
1957年茨城県生まれ。早稲田大学法学部卒業、早稲田大学大学院博士後期課程(法学研究科)単位取得満期退学。外務省外交史料館勤務などを経て、現在は和光大学・駿台予備学校講師(国際関係史・観光歴史学・世界史)および当山代表・当HP管理人。専門は第一次世界大戦前後の東アジア国際政治史、日本外交史。
《主要著書・論文》
「日本海軍とミクロネシアのドイツ領諸島」(多賀秀敏編『国際社会の変容と行為体』成文堂)、「米西戦争とドイツ」(早稲田大学『法研論集』第86号)、「日本海軍のミクロネシア占領とヤップ島問題」(早稲田大学『法研論集』第90号)、『テーマで学ぶ近現代の世界史60』(共著/成文堂)ほか。

現在の開門時間は、

9:00~16:00です。

 

親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年を記念した前進座特別公演「花こぶし」の水戸公演が2月に行われます。

詳細は左端の「お知らせ」タブより「行事日程と工事予定」をご覧ください。

(2024.1.11)

⇒ご鑑賞、御礼申し上げます。

 

「除夜の鐘」をつきます。23:50~01:00頃。ご参拝ください。   (2023.12.31)

⇒ご参加・ご参拝ありがとうご

 ざいました。(2023.01.1)

 

2023年度の新米が入荷しました。今年の新米も昨年同様ローズドール賞(最優秀賞)を受賞した新品種「ゆうだい21」です。詳細は左端のタブ「庵田米の販売について」をご覧ください。    (2023.10.20)

 

筑波大学名誉教授(日本思想)伊藤益先生のご講義【第5回】     

「慈悲の思想」をUPしました。左端のタブ「internet市民大学」よりお入りください。      

         (2023.7.15)

 

「市民大学講座」7月16日開催します。ご講師は伊藤益先生です。詳細は左端のタブ「公開講座・Seminar のご案内」をご覧ください。4年ぶりの開催ですので、ご参加をお待ちしています。(2023.5.29)

⇒約70名の受講者の方のご参加を得て、質疑応答で40分の延長の後、無事に終了しました。35度にもなる酷暑の中、駅から往復3km を歩いて参加され方々もありました。皆様、ご参加ありがとうございました。そし て、お疲れさまでした。 

       (2023.7.18)        

 机に向かい静かに目を閉じると、想いは6年前に訪れたキエフ〔キーウ〕に飛ぶ。ホーチミン経由のベトナム航空でモスクワに着いた私は、その足で駅に向かい、翌日の夜行列車を予約したのだった。

 

 首都キエフは、ロシア正教会(今はウクライナ正教会)の建物が夕日に輝く美しい都市だった。十字架を抱えたキエフ大公ウラディミル1世がドニエプル川を見下ろし、独立広場にはウクライナ国旗とEU旗が記念塔を取り囲んでいた(大学の授業で配信した動画の一部をUPします)。

 

  モスクワからキエフまでは夜行で一晩、1時間ごとに寝台列車が出ている。乗車当日その場でキップも買える。「母がウクライナの出身なんだ」と話していた初老のロシア人男性。両国に親戚がいる人々も多い。その国に攻め込むとは…刻々と届く映像を見ていて涙が止まらない。


 事態を予想しなかったと話す識者も多い。フィンランド侵攻(1939)・ハンガリー事件(56)・チェコスロヴァキア事件(68)と繰り返された暴力。必ずキエフまで侵攻すると私は確信していた。なぜ事前に米軍やNATO軍を緊急展開させなかったのか。抑止力となったはずだ。腰の引けた指導者たちの宥和政策が、ヒトラーの勢力拡大を可能にしたことを思い出す。


 キエフではミンスク(ベラルーシの首都)行きの寝台列車の切符が買える。チェルノブイリの側を抜けた列車は、翌朝にはミンスクに着いた。そのベラルーシでは、一昨年にはルカシェンコ政権に対する激しい民主化要求デモが続いた。ロシアでも反戦デモが続いているようだ。ナショナリズムに染まらないロシア人の知性に、僅かな光明を見る思いがする。

      (2022.2.26)

《追伸》
  十数年前のロシア航空、隣に座ったチェコ人青年の言葉が思い出される。チェコ解体(1939)と「プラハの春」弾圧(68)を経験した彼らの言葉は重い。 
  Russia is more dangerous

  than Germany.


 自国の権益と安全保障を要求して一方的に他国に攻め込む姿勢は、満蒙特殊権益を死守しようとした80年前の日本と重なる。欧米諸国による圧迫やウクライナの性急な親欧姿勢が攻撃を誘発したとする言説も聞かれるが、それは米国による包囲網が日本を追い込み開戦に至らしめたとして、日本の侵略行為を矮小化しようとするのと同じである。        (2022.5.5)

 

 

 

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