第9回 2014年9月1日    東京工芸大学名誉教授 加藤智見

【連載・親鸞とルター―世界から見た親鸞像―(4)】

 

〈第三段階…大いなるものの働きかけに気づく〉

私は、親鸞とルターの二人の生き方を考えると、五つの段階を通して信仰が得られ、深めてられていったといえるのではないかと考えています。五つの段階とは、かけがいのない自分を大切にし、自分と向き合う第一段階、挫折を知り、大いなるもの(仏や神)に出会う第二段階、大いなるものの働きかけに気づく第三段階、大いなるものを信じる喜びを得る第四段階、そして喜びを正しく人に伝える第五段階です。

 先回は第二段階について考えましたので、今回は第三段階について考えてみます。

 

 

 六角堂で夢告を受けた日から、親鸞は百日の間、現在の知恩院の近くにあった吉水の法然の草庵に通いつめます。比叡山で学んだ天台教義や常行堂で実践した不断念仏と、法然の説く念仏の教えを対比させ、執拗に法然の真意に耳を傾けました。

 目の前にいる法然の表情には、長年の苦悩がまったく表われていない。当時法然は69歳でしたが、穏やかな姿は正に救われた人間そのものの姿でした。親鸞はその法然の姿に心を奪われてしまいました。法然に魅了された親鸞は、法然の心の軌跡を説法の中に追い求めていきました。これほど苦労した法然が、なぜこのように穏やかに生きていられるのかと。説法を聞きながら、親鸞は法然が唐の善導(613~681)について話すとき、温顔が一層輝きを増すことに気づきました。法然が回心を得たのは、実はこの善導のお蔭でした。

『選択本願念仏集』の書写を許される
『選択本願念仏集』の書写を許される

 43歳のとき、この善導が書いた『観経疏』に出会い、それまでの苦悩が一気に氷解したのです。ただ一心にひたすら念仏する、これこそが本当の行だ、なぜならこのことこそが「仏の願に順ずるが故に」と教えてくれたからです。仏はひたすら人々を救おうと願っておられる。その仏の願いにこたえるには、自分の力に頼って何かをするのではない。その仏の呼び声に素直に応え、念仏するだけでよい、それがすべてなのだ。どんな批判、非難にも動じず、穏やかに生きる姿、その温顔の奥に、法然を生かしている阿弥陀仏の願い、すなわち本願の力と意味を親鸞は感じとったのです。他力念仏の真意を深く理解した親鸞に感じ入った法然は、自著『選択本願念仏集』の書写を親鸞に許した。

 法然に教えられた念仏を称えながら、あらためて親鸞は阿弥陀仏の本願に思いをはせました。法然に出会うまで、念仏を称えながら阿弥陀仏に近づこう、あるいは阿弥陀仏に救われるに値する人間になろうと努めてきました。しかしこれは仏の心を無視することであったと気づくのです。修行をする時間のある親鸞であれば、それもある程度可能でしょうが、行を行なう時間も能力もない人間はどうすればよいのか、永遠に救われないのではないか。そんな人々のために仏はみずから救いの用意をしてくださっていたのだ、この阿弥陀仏に感謝し、救いに身をまかせることがすべてではないかと気づくことになったのです。

 そもそも阿弥陀仏は、仏になる以前、つまり成仏する以前の法蔵菩薩のとき、「一切の苦悩する衆生」を悲しみ憐れみ、長く苦しい思索の後、ただ仏を信じその名を呼ぶだけで苦悩を離れさせ得ると気づかれ、われわれに呼びかけ、働きかけてくださっていた、と親鸞は気づいたのです。仏ご自身がすでに親鸞以上に苦労してくださっていたと気づかされたのです。この衝撃的な「気づき」が親鸞の回心を引きおこしました。『歎異抄』の次の言葉はこの気づきを見事に表現しているといえましょう。

 「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」。その意味は、阿弥陀さまが五劫という長い間、思索を重ねてお立てくださった本願をよくよく考えてみますと、ひとえにこの私親鸞一人のためでした、というものです。

 

 一方、ルターは、1512年から翌13年にかけて(その日時ははっきりしていないが)、ヴィッテンベルクの修道院の塔の一室で、決定的な回心をすることになります。一心に聖書を読んでいると、詩編22.2の「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜ私をお見捨てになるのか。なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、嘆きの声を聞いてくださらないのか」という文に衝撃を受け、キリストの真の姿に気づいたのです。

十字架上のイエス
十字架上のイエス

 ルター自身は罪ある存在ですから、神に見捨てられても当然です。しかしキリストに罪はありません。にもかかわらずキリストは神に見捨てられ十字架にかけられたと気づいたのです。そう気づき得たことに回心の根拠があるのです。キリストは十字架上で神に向かって叫び、訴え、しかも死んでいかれた。罪ある人間の手にかかって、その人間の罪を背負って死んでいかれた、というのです。

 それまでルターを責め、苦しめてきたキリストが、人間ルターのために、人間の手によって死なれた。救われようもないと悩んでいたルターの孤独は、十字架上のキリストの孤独に比較すれば、もはや無となったのです。彼の苦悩はキリストの苦悩の中に包みこまれてしまったのです。身をけずるようなルターの苦悩がこのような聖書の読み方をさせたともいえるでしょう。
 彼は述べています。「あなた(ルター自身を指す)のためにキリストは地獄におち、永遠に呪われた者の一人として神から見捨てられたのだ。それゆえにキリストは十字架の上で『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ』すなわち『私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのか』と叫ばれたのだ。……あなた自身の中にあなたを求めず、キリストの中にのみあなたを求めるがよい。そうすれば自分を永遠にキリストの中に見いだすだろう」(『死への準備についての説教』)。罪のないキリストがみずからを低めてルターが受けるべき罰を引き受けてくださったと気づいたとき、キリストへのはげしい恐れは深い喜びに転換されることになったのです。
 そしてさらに、このようなキリストの試練の奥に彼は神の働きかけを見出すのです。『善きわざについて』の中で、彼は詩編を引用しながら新しい神について述べています。「『主はすべての悩む者のそばにいましてこれを助けられる』といわれる。神はなおこれだけでは満足なさらず、さらに力のこもったしるし、すなわちわれわれの主たる愛する独り子イエス・キリストを与えてくださったのだ」。悩む者にこそ神はキリストを与えてくださったというのです。ここにおいてルターは神に出会い、神の深い働きかけに気づいたのです。
 ルターが恐れ続けた、審判し罰する神の姿はここに至ってまったく違う姿になります。ルターのためにあえて最愛の独り子を与え、そのキリストをあえて苦悩させた神の姿になったのです。
 
 こうして二人は、その過程は異なっても、大いなるものの働きかけに気づいたのです。
 

現在の開門時間は、

9:00~16:00です。

 

親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年を記念した前進座特別公演「花こぶし」の水戸公演が2月に行われます。

詳細は左端の「お知らせ」タブより「行事日程と工事予定」をご覧ください。

(2024.1.11)

⇒ご鑑賞、御礼申し上げます。

 

「除夜の鐘」をつきます。23:50~01:00頃。ご参拝ください。   (2023.12.31)

⇒ご参加・ご参拝ありがとうご

 ざいました。(2023.01.1)

 

2023年度の新米が入荷しました。今年の新米も昨年同様ローズドール賞(最優秀賞)を受賞した新品種「ゆうだい21」です。詳細は左端のタブ「庵田米の販売について」をご覧ください。    (2023.10.20)

 

筑波大学名誉教授(日本思想)伊藤益先生のご講義【第5回】     

「慈悲の思想」をUPしました。左端のタブ「internet市民大学」よりお入りください。      

         (2023.7.15)

 

「市民大学講座」7月16日開催します。ご講師は伊藤益先生です。詳細は左端のタブ「公開講座・Seminar のご案内」をご覧ください。4年ぶりの開催ですので、ご参加をお待ちしています。(2023.5.29)

⇒約70名の受講者の方のご参加を得て、質疑応答で40分の延長の後、無事に終了しました。35度にもなる酷暑の中、駅から往復3km を歩いて参加され方々もありました。皆様、ご参加ありがとうございました。そし て、お疲れさまでした。 

       (2023.7.18)        

 机に向かい静かに目を閉じると、想いは6年前に訪れたキエフ〔キーウ〕に飛ぶ。ホーチミン経由のベトナム航空でモスクワに着いた私は、その足で駅に向かい、翌日の夜行列車を予約したのだった。

 

 首都キエフは、ロシア正教会(今はウクライナ正教会)の建物が夕日に輝く美しい都市だった。十字架を抱えたキエフ大公ウラディミル1世がドニエプル川を見下ろし、独立広場にはウクライナ国旗とEU旗が記念塔を取り囲んでいた(大学の授業で配信した動画の一部をUPします)。

 

  モスクワからキエフまでは夜行で一晩、1時間ごとに寝台列車が出ている。乗車当日その場でキップも買える。「母がウクライナの出身なんだ」と話していた初老のロシア人男性。両国に親戚がいる人々も多い。その国に攻め込むとは…刻々と届く映像を見ていて涙が止まらない。


 事態を予想しなかったと話す識者も多い。フィンランド侵攻(1939)・ハンガリー事件(56)・チェコスロヴァキア事件(68)と繰り返された暴力。必ずキエフまで侵攻すると私は確信していた。なぜ事前に米軍やNATO軍を緊急展開させなかったのか。抑止力となったはずだ。腰の引けた指導者たちの宥和政策が、ヒトラーの勢力拡大を可能にしたことを思い出す。


 キエフではミンスク(ベラルーシの首都)行きの寝台列車の切符が買える。チェルノブイリの側を抜けた列車は、翌朝にはミンスクに着いた。そのベラルーシでは、一昨年にはルカシェンコ政権に対する激しい民主化要求デモが続いた。ロシアでも反戦デモが続いているようだ。ナショナリズムに染まらないロシア人の知性に、僅かな光明を見る思いがする。

      (2022.2.26)

《追伸》
  十数年前のロシア航空、隣に座ったチェコ人青年の言葉が思い出される。チェコ解体(1939)と「プラハの春」弾圧(68)を経験した彼らの言葉は重い。 
  Russia is more dangerous

  than Germany.


 自国の権益と安全保障を要求して一方的に他国に攻め込む姿勢は、満蒙特殊権益を死守しようとした80年前の日本と重なる。欧米諸国による圧迫やウクライナの性急な親欧姿勢が攻撃を誘発したとする言説も聞かれるが、それは米国による包囲網が日本を追い込み開戦に至らしめたとして、日本の侵略行為を矮小化しようとするのと同じである。        (2022.5.5)

 

 

 

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