【連載・親鸞とルター―世界から見た親鸞像―(3)】
〈第二段階…挫折を知り、大いなるものに出会う〉
私は、親鸞とルターの二人の生き方を考えると、五つの段階を通して信仰が得られ、深めてられていったといえるのではないかと考えています。五つの段階とは、かけがいのない自分を大切にし、自分と向き合う第一段階、挫折を知り、大いなるもの(仏や神)に出会う第二段階、大いなるものの思いやりや働きかけに気づく第三段階、大いなるものを信じる喜びを得る第四段階、そして喜びを正しく人に伝える第五段階です。
先回は第一段階について考えましたので、今回は第二段階について考えてみます。
先回触れましたように、親鸞は比叡山で挫折し、ついに29歳のとき山をおりました。そしてまっすぐ京都の六角堂(頂法寺)に向かいました。この寺は親鸞が尊敬していた聖徳太子が建立したとされており、本尊は観音菩薩で、行く末に悩む人々が夢告(夢のお告げ)を授かる寺として知られていました。親鸞はこの寺の中にあった六角堂に百日籠り、今後どうすべきかをたずねようとしたのです。
毎日不眠不休で観音菩薩に祈り、自分の生きるべき道を問い続けました。三ヶ月をすぎた95日目の明け方、疲労の極限に達した彼は、不覚にもうとうとと眠りはじめてしまいました。しかしそのとき夢を見たのです。観音菩薩が聖徳太子の姿をして彼の目の前に姿を現わす夢でした。そのときの様子を、親鸞の娘覚信尼の孫で本願寺第三世法主となった覚如は『御伝鈔』に書いています。現代語にすれば、「六角堂の観音さまが端正でおごそかなお顔をなさった聖僧のお姿で現われ、真っ白なお袈裟をめされ、大きな蓮の花の上にきちんとお座りになって親鸞聖人に次のように告げてくださいました」という内容です。
そのお告げの内容は、「もし修行者のあなたが過去世の業報によって女性を求めるなら、私は玉のように美しい女性となってあなたに添いとげ、あなたを浄土に導いてあげましょう」というものでした。女人禁制が当たり前であった当時、比叡山で20年間も修行した僧が見る夢としては異例の夢でした。しかも観音菩薩が親鸞の妻になろうとしてくださっているなどということは、非常識この上ないといわれても仕方がないことでしょう。しかしこの非常識なことが、親鸞にとってはとても重要で深い意味をもつことでした。その理由を考えてみましょう。
親鸞は比叡山で修行に打ち込みながら深い疑問にとらわれていました。伝統的な仏教では人間の愛欲、特に性欲などというものは修行者にとっては捨てるべきものでした。異性を遠ざけ、性欲を滅ぼすことこそが立派な僧になる条件だったからです。性欲などにとらわれているようでは僧になる資格はなかったのです。男女の問題、性の問題を超えて広く平等に衆生済度することが仏教の基本だったからです。
しかし、ただ女性を遠ざけ性の問題をタブー視するだけで問題が解決されるとは、親鸞はどうしても考えられず、比叡山で悩んでいたのです。異性や愛欲の問題は避けるのではなく、高い次元で肯定されなければならない、愛欲を肯定しつつ仏の道を歩むことこそが本当の仏教ではないか、そうでなければ庶民を含めた人間全体の救いは成り立ち得ないのではないか。このような思いがすでに比叡山にいるときからの親鸞の確信となっていたのだと私は考えています。そのような彼自身の内面の確信が、三か月の真剣な参籠によってこのような形で現われたのではないかと思えます。と同時に大切なことは、それまで仏とか菩薩は親鸞にとっては尊いけれど単なる崇拝対象としての仏や菩薩でした。ところがその対象が、みずから姿を変えてまで親鸞の前に現われ、浄土に導いてくださる存在となったのです。つまり一生懸命に近づくべき理想の存在であった仏が、みずから親鸞に近づき、出会って来てくださる仏となったのです。
比叡山での深い挫折があったからこそ、誰も気づかなかったこのような本当の仏の慈悲に気づいたのです。挫折というものを体験しなければこのような仏ご自身、つまり大いなるものに気づけなかったのではないでしょうか。このような点で真剣な求道をともなう挫折は大きな意味をもっているのです。
一方、エルフルトの修道院で神に怒りさえ感じ、深い挫折におちいっていたルターは、1508年、25歳のとき、ヴィッテンベルク大学で講義をすることになり、ヴィッテンベルクの修道院に移りました。
ルターはこの修道院でシュタウピッツ(1460~1524)という人を聴罪司祭に選び、罪と苦悩を告白し教えを受けることになりました。シュタウピッツはヴィッテンベルク大学の初代神学部長でしたが、エルフルトの修道院でルターを見出し呼んでくれたのです。
ヴィッテンベルクの修道院に移ったルターでしたが、苦行を続けなから、相変わらず罪におびえ、苦しんでいました。もはや自分や人間の力ではどうにもならないところまで追いこまれていました。もう神の力によるほかなくなっていましたが、まだこの頃の彼の神観によれば、神に救われるためには苦行し、自己愛を捨て、救われる準備をしなければならないという見方に立っていました。このためその準備をしなければならないのですが、自己愛に縛られ、それができないという自己矛盾に悩んでいたのです。
この苦しみを彼はシュタウピッツに告白しました。するとシュタウピッツは彼に、神が君を怒っているのではなく、君が神を怒っているのだと諭し、一緒に悩んでくれました。さらに彼はルターに、神は準備を強要したり、苦行を重ねることを強制されるような方ではない。罪を責めるどころか、キリストをつかわし罪を背負おうとなさってくださっているのだから安心して身を任せなさい。自分の罪に固執せず、君を思ってくださる神さまのほうに目を向けなさい、とやさしく諭し続けてくれたのです。
シュタウピッツのこのような指導は、ルターの心に響き、心を開かせていきました。ルターは次第に、素直に神に目を向けることができるようになったのです。ここにシュタウピッツを通して、ルターは大いなるものに出会うことができるようになります。ルターをひたすら責めているとしか思えなかった神が、実はひたすらルターのことを思いやってくださっていたのだと思えるようになったのです。まだこれによって決定的な回心に至ったわけではありませんが、やがて完全な回心に至る大きな契機になりました。こうして深い挫折により、思いもよらなかった神の愛に出会えるようになったのです。
こうして経緯は異なっても、親鸞とルターは深い挫折によって大いなるものに出会うことができました。これによってやがて親鸞は阿弥陀仏、ルターはヤハウェの神の働きかけに気づき、深い信仰を得ることになりますが、この第三段階については次回に譲ります。