第22回  2017年1月1日    東京工芸大学名誉教授 加藤智見

 

【連載・世界の宗教を学ぶ (4) 儒教】

儒教は、宗教であるか学問であるかでいろいろ議論がありますが、天を敬ったり祖先崇拝を重要視する面がありますので、宗教の部類に入り得ます。ここではそのように考え、宗教として考察してみます。

(1)儒教とは
 儒教は、中国春秋時代に孔子(前551~479)の教えを中心に成立した宗教です。孔子の教えの中心点は、敬天思想にもとづいた中国古代の理想王朝に求められ、これによって正しい道徳的秩序を確立しようとするところにあります。

 

山東省曲阜市にある孔林(孔子一族の墳墓)の門。
山東省曲阜市にある孔林(孔子一族の墳墓)の門。

 孔子が弟子たちに説いた最も重要な教えは、「仁」というものでした。この仁とは、一言でいえば人を愛することですが、その内容は単なる自己中心的な愛ではなく、相手のことをよく考え、自分の欲望を抑えるところから発する思いやりにみちた愛であるといえます。つまりこの仁は自分の忠(まごころ)と他人への恕(じょ、思いやり)を、その実現の経路とするのです。孔子はこの仁を唱えることで人間のあり方を鮮明にし、人格を完成することを理想としたのです。有名な「己れの欲せざる所は人に施す勿(なか)れ」(『論語』)、「巧言令色鮮(すく)なし仁」(『同』)というような言葉は、このようなことを表現しているのです。

Wikipedia「孟子」より。
Wikipedia「孟子」より。

 その後、孔子の教えは孟子(前372~289)に継承されていきます。そして孟子は、孔子の仁を展開し仁に義を加え、仁義による統治を説きました。さらに「人間の本性は善なり」(『孟子』)と唱え、すべて道徳的価値を主体的に判断し、実行すべき善なる本性を先天的に誰もが有しているという性善説、つまり人は生まれながらにして仁義礼智の四徳の可能性をもっていると唱えました。そして「天の時は地の利に如(し)かず、地の利は人の和に如かず」(『孟子』)、つまり何事をなすにも、人の和が大切であると説きました。

(2)儒教の教え
 儒教の教えを一口でいえば、仁を重んじ、徳と礼すなわち五倫と五常を実践して正しく生きることといえましょう。そこでこの五倫と五常について見ておきます。

 [五倫] (基本的な人間関係を規律する五つの徳目)
  ●父子の親…父と子の間の自然な信愛の情。
  ●君臣の義…主君と下臣の間の道徳・倫理。
  ●夫婦の別…夫と妻の役割分担。
  ●長幼の序…年下の者は年長者に従う。
  ●朋友の信…友はお互いを信頼する。

 [五常] (人として常に守るべき五つの徳目)
  ●仁…自己抑制と他者への思いやり。
  ●義…人間の行なうべき筋道。
  ●礼…秩序を守るため規範を尊ぶ。
  ●智…是非・善悪を弁別する。
  ●信…欺かない。

 

孔林の最奥部にある孔子の墓(後方の土盛り部分)
孔林の最奥部にある孔子の墓(後方の土盛り部分)

(3)儒教の特徴
 神観
 開祖孔子は下剋上の時代に生まれ、模範的な政治を行なう君主を求めて諸国を歴訪し、諸侯に道徳的政治の実行を説いたのですが、受け入れられず、晩年は弟子の教育と著述に専念するようになりました。このように彼の態度を見ると、どうしようもない人間の苦悩を神によって救われるというような発想には立っていません。むしろ人間個人の内面というよりも、政治的、社会的な秩序を確立し、社会の安定の中に幸福を求めようとする立場に立っているといえます。儒教では「天に順(したが)う者は存し、天に逆らう者は滅ぶ」(『孟子』)とされ、天が神のように崇拝され、また孔子が神とされる場合もありますが、大自然たる天が偉大であり、その天に順じた者が優れた人間とされるのです。ヤハウェとかアッラーのような存在とはまったく違う存在、つまり人間存在をまったく超越した全知全能の神とは違います。人間を創造し、支配しつつ、あらゆる人々、特に罪人・悪人をこそ救おうとするような神とも違います。あくまでも人間の世界を秩序正しく保つための方法を教え、それを実行できるよう手助けをする存在が、彼らにとっては神なのです。

 人間観
 すでに述べたように、孟子は性善説を説きました。彼は、人が善について思うのは先天的に道徳的本性が人間一人ひとりの中に存在しているから、これを拡大していけば誰でもが善人や聖人になれるというのです。人が悪いことをするのは、ただこのことを忘れているからであって、根本的に悪いのではないと考えているのです。キリスト教の原罪とか仏教でいう罪悪深重の凡夫というような人間観とは大きく違い、かなり楽観的であるともいえます。だから深い内省や懺悔にもとづいた深刻な告白よりも、人間が生まれもった自然の善意を大切にし、人間生来の善を信頼する面が強いのが特徴といえます。一神教が強烈な宗教性をもつのに対し、儒教が倫理的・道徳的な要素を色濃くもつのはこのためです。

 信仰観
人間誰しもが善への傾向をもっているということは、正しい信仰さえもちえないから信仰も神や仏に与えてもらうというような信仰の形態とはならない。そうではなく、元来性善であるがゆえに、そのわが身を自覚し、その意識を拡大していくことが大切であるということになります。このように教え、自覚させてくれている孔子や孟子への感謝と喜びと信頼の気持ちが、したがって儒教の信仰観の基盤になっているといえましょう。

 現在では宗教としての儒教は中国では失われ、台湾や韓国で生き残っています。日本にはすでに五世紀のはじめに伝わっていましたが、日本人はどちらかというと宗教としてより学問とか倫理の面から受け入れたため、仏教や神道とあまり摩擦をおこしませんでした。江戸時代には、幕府公認の思想として隆盛しますが、お上に対する「忠義」の考えが中心となり、幕藩体制を正当化するものとして定着しました。

3月31日に行われました当山27世「葬儀およびお別れの法会」にご参列を賜りました皆さま、またお心遣いを賜りました皆さま、ご厚情に深く感謝申し上げます。皆さまのお力をお借りして、法会を無事に終えることができました。ありがとうございました。法会の様子は、左端「ご報告の部屋」をご覧ください。また、当日は一般のご参拝の方々に多大なご迷惑をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。(4月1日)

 

  

 「春の市民大学講座」(3月24日)は無事に終了しました。特に西洋哲学(デカルト)につきましては予想を超えるご来場者があり、関心の高さを感じました。ご参加の皆さま、お疲れ様でした。次の市民大学講座は7月20・21日です。ご参加を心よりお待ち申し上げています。(3月24日)

 

 

 

 

 会うことに意義があったと信じたい。再会は3度目の逢瀬?^_^;に繋がる。

 

 思い起こしてほしい…あの米ソ冷戦が激化していった時代、米英仏ソの4大国首脳がジュネーヴに参会して笑顔で写真に収まり(1955)、フルシチョフが訪米してアイゼンハウアーと会談したこと(59)が、(米大統領はケネディ代わったが)キューバ危機(62)の解決に繋がっていったのは間違いない。

 

 それにしても、「世界を俯瞰する外交」はどうした? これが「制裁・圧力」と言い続けて他人頼みの強硬外交を繰り返してきた結果なのか? 自らが位置する東アジアが大きく地盤変動しつつある時に、全く‘蚊帳の外’に置かれているのは噴飯物でしかない。

 

 再び思い越して欲しい…欧州に多大な惨禍をもたらした第一次世界大戦(1914~18)が終わった100年前、ウィルソン米大統領の唱えた「新外交new diplomacy」  が流行語となって、パリ講和会議(19.1-6)で恒久的平和に向けて熱い議論が繰り返されていた時代を。その時に日本は、「五大国  Big5」(米英仏伊日)の一員として講和会議に加わりながら、経験と語学力の不足そして何よりも平和に向けた ‘理念’ の欠如から、会議では孤立した挙げ句に沈黙を続けて「silent partner」と密かに軽蔑されたのだった。

 

 さらに「民族自決」という国際的潮流を見誤った日本は、朝鮮半島では「三・一独立運動」(19.3)を徹底的に弾圧し、大陸部では権益拡大を強引に追い求めて「五・四運動」(19.5)を引き起こした。…そして日露戦争の勝利でアジアの希望の星と思われていた日本は、アジアの民衆から失望され孤立していく。

 

 知る人によれば、友人を大切にする ‘良い人’ だそうだ。落ち着いた住宅街にあるお坊ちゃま大学を出た(少し単純な思考回路を持つ)男が、したたかな思惑を持った人々に操られて暴走した結果が、孤立した今の状況なのだろう。戦争への道を決定づけた上で内閣を投げ出した近衛文麿と酷似していると思うのは、私だけではないだろう。

 

 しかしながら、個人を批判しても仕方あるまい。二人とも、世論の支持を頼りに暴走していったのだから。あの時代に近衛内閣と大陸への強硬策を熱く支持した日本国民たちも、今の時代に(住民投票に示された)地方の民意を完全に無視し、かつ無形の圧力をかけて公文書や統計数字の偽装を官僚に強いる内閣に高い支持を寄せ続ける国民たち(特に若年層男性)も、時代を超えて共にその責任は重い。

 

 すべては、私たち国民のせいなのだ。(2019.3.4)

 

 

 

 

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