【連載・世界の宗教を学ぶ ⑵ 道教】
先回はヒンドゥー教について学びましたが、今回は中国におこり、台湾、沖縄、日本などに広まり、日本文化にも深い影響を与えた道教について学んでみたいと思います。
(1)その歴史
道教は中国の有名な思想家・老子が説いた宗教だと思っている人が多いのですが、本当は中国の庶民の間からおこった、いわば民族的な宗教なのです。まとまりのなかったその内容を組織化するための補強手段として老子の思想が用いられたのです。もともと庶民から生まれたものですから人間臭いし、どことなく親近感が感じられる宗教です。
自然発生的におこった宗教であるため、教祖や開祖といわれる人はいません。教団としての組織ができたのは紀元後二世紀半頃で、その後盛衰を重ねますが、清代の頃には伝統を守るだけになり、中華民国以後は微力なものとなってしまいました。
しかし台湾では、今でも盛んに崇拝され、小さな村にも廟(びょう)や小祠(しょうし)があります。祭礼の日にかぎらず、朝晩参詣する人々が絶えず、暦にも神々の生まれた日がしるされ、祭礼当日は各廟で祭りが行われ、多くの人が参詣しています。
日本も歴史上道教の影響をかなり受けており、修験道などは道教の日本版とまでいわれていますし、七福神の一人寿老人(じゅろうじん)は道教の神の姿を写したものです。
また最近まで盛んに行われていた共食・歓談しながら徹夜する庚申待(こうしんまち)の源流は道教であるといわれていますし、東北のイタコの間に伝えられるオシラさま、あるいは夏の慣習となったお中元なども道教に由来しているとされます。
沖縄では今でも道教信仰が生きています。戦火にあった那覇の天尊廟・媽祖廟(まそびょう、天妃宮)・関帝廟も戦後立派に再建されました。
では道教の教えの核心に触れてみますが、道教の理論的基礎となった『老子道徳経』と中国晋代の道家・葛洪(かっこう)の著書『抱朴子(ほうぼくし)』を取り上げてみましょう。
(2)道教の教え
まず『老子道徳経』を見てみますが、この書物にはキーワードとして「道」という言葉が出てきます。この道について、老子は次のように説いています。はじめに混沌としたものがあり、天地が生まれる以前から存在していた。その混沌としたものはひっそりとして音もなく、ぼんやりとして形もない存在で、何ものにも依存せず、不変のものであった。万物にゆきわたり、妨げられるということがない。これは世界を生み出した母ともいうべきものであるが、私はその名前さえ知らないので仮に「道」と呼んでおく、というのです。
つまり道とは万物の根源、宇宙の本体というべきものであり、常住不変の存在であって、その作用は万物を成立させる母のようなものだというのです。ちなみに原文では「物有り混成(こんせい)し、天地に先だって生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して改まらず、周行(しゅうこう)して殆(おこた)らず、もって天下の母と為すべし。吾(われ)、その名を知らず。これに字(あざな)して道といい」となっています。
ではこのような道に対して人間はどのような態度をとればよいのでしょうか。老子はこんなたとえ話を引いています。水は万物に恵みを与えますが、だからといって威張ったり争ったりはしません。それどころか、だれもが嫌がる低くてじめじめしたところにすすんで身を置きます。だからこそ水は偉大であり、道に近いところにいるというのです。「水善(よ)く万物を利して争わず。衆人(しゅうじん)の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し」。水のように謙虚であれ、といっているのです。
謙虚になるためには私欲を少なくし、素朴な姿に戻らねばなりません。「素(そ)を見(あら)わし朴(ぼく)を抱き、私(わたくし)を少(すくな)くし欲を寡(すくな)くせよ」。謙虚になり、私欲を少なくすれば自然に道に従うことができるようになります。徳がある人というのは、実は自然に道に従っている人のことです。大きな徳をそなえた人つまり「孔徳(こうとく)の容(よう)は、唯道(ただみち)にこれ従う」と表現されているように。
こうして道に従うとき、心は静かになってきます。するとさまざまな形で生起した万物が、やがてはその根本本体である道へと帰っていくのがよく見えるようになる、つまりこの世界のありのままの姿が見えてくるというのです。「虚(きょ)を致すこと極まり、静(せい)を守ること篤(あつ)ければ、万物竝(なら)び作(おこ)るも、吾もってその復(かえ)るを観(み)る」といわれるゆえんです。
さてこのような心境に至れば、いたずらに自分の能力を頼み人間世界であくせくすることがなくなり、自然に抱かれ道に養われていると自覚でき、感謝の心が生まれます。このように道に対して謙虚になり、従い、道に養われていると信じるところに老子の教えの原点があるといえましょう。
次に『抱朴子』を見ますと、ここにははっきりと神が出現します。たとえばこの書物には不老長寿の薬の作り方が説かれますが、この薬を調合するには神々を祭らねばなりません。祭れば天を主宰する神である太乙元君(たいいつげんくん)、老子が神になった老君(ろうくん)、女神玄女(げんじょ)が天からやって来て薬を作る人々を見守ってくれるというのです。「この大薬を合わすには、皆まさに祭るべし。祭ればすなわち太乙元君、老君、玄女、皆来りて薬を作る者を鑑省(かんせい)す」。
ここで注意しておきたい点は、これらの神々も元来人間であったということです。人間が神になったのです。キリスト教やイスラム教のような一神教にはない発想です。『抱朴子』によれば、人間の中ですぐれた人は道を体得し天神になる、次の段階の人は人神となり、その下の人は長生きをするといわれます。いずれにしても老子の道の思想が現実的、具体的にされ、神々が信仰対象とされるようになります。誠の心をもって神を祭り、不老長寿を願う心の中に、道教の教えの原点があるといえます。
(3)道教の信仰
では最後に老子、抱朴子に共通した道教信仰の特徴を三点に絞って指摘してみます。
老子は次のように述べています。小ざかしい判断をして軽挙妄動すれば不吉を招くが、聡明になり寛容になれば公平になる。すると自然に天の理にかなった行動が生まれ、道と一体になる。道と一体になれば長寿を保ち、安らかに暮すことができるようになる。「道なればすなわち久しく、身を没するまで殆(あやう)からず」というのです。心を虚しくして道に従い、道と一体になろうとする気持ちの中に道教信仰の重要な要素があります。
次に心を虚しくし私欲をなくそうとする努力は神の心に通じ、誠の心を養成することになります。うわべだけの気持ちでは神に通じず、道と一つにはなれないのです。「皮膚(うわべ)のみ好喜すとも、道を信ずるの誠は、心神に根ざさず」と抱朴子はいいます。誠の心をもって道を学び、神を信じる気持ちの中に道教信仰の要素を見なければなりません。
第三に、道教では不老長寿の願いが強いのですが、これはただむやみに長生きをするということではなく、道と一体になって生きれば肉体が滅んでも真の生命は滅びず、永遠に生きるという老子の思想がその基礎になっているのです。ちなみに原文では「その所を失わざる者は久しく、死して亡(ほろ)びざる者は寿(じゅ)なり」と述べられています。この信仰があるからこそ長寿の薬も有効になるのでしょう。こうして正しく神を信じることによって長生を与えられると確信する気持ちの中にも道教信仰の特徴があると考えられます。