●2022年2月(追伸5月)
ロシア・ウクライナ・ベラルーシなどを、3週間かけて陸路で回った。6年前のことだ。
首都キエフは、ロシア正教会(今はウクライナ正教会)の建物が夕日に輝く美しい都市だった。十字架を抱えたキエフ大公ウラディミル1世がドニエプル川を見下ろし、独立広場にはウクライナ国旗とEU旗が記念塔を取り囲んでいた(大学の授業で配信した動画の一部をUPします)。
モスクワからキエフまでは夜行で一晩、1時間ごとに寝台列車が出ている。乗車当日その場でキップも買える。「母がウクライナの出身なんだ」と話していた年輩のロシア人。両国に親戚がいる人々も多い。その国に攻め込むとは…刻々と届く映像を見ていて涙が止まらない。
事態を予想しなかったと話す識者も多い。フィンランド侵攻(1939)・ハンガリー事件(56)・チェコスロヴァキア事件(68)と繰り返された暴力。必ずキエフまで侵攻すると私は確信していた。なぜ事前に米軍やNATO軍を緊急展開させなかったのか。抑止力となったはずだ。腰の引けた指導者たちの宥和政策が、ヒトラーの勢力拡大を可能にしたことを思い出す。
キエフではミンスク(ベラルーシの首都)行きの寝台列車の切符が買える。チェルノブイリの側を抜けた列車は、翌朝にはミンスクに着いた。そのベラルーシでは、一昨年にはルカシェンコ政権に対する激しい民主化要求デモが続いた。ロシアでも反戦デモが続いているようだ。ナショナリズムに染まらないロシア人の知性に、僅かな光明を見る思いがする。(2022.2.26)
《追伸》
十数年前のロシア航空、隣に座ったチェコ人青年の言葉が思い出される。チェコ解体(1939)と「プラハの春」弾圧(68)を経験した彼らの言葉は重い。
Russia is more dangerous than Germany.
自国の権益と安全保障を要求して一方的に他国に攻め込む姿勢は、満蒙特殊権益を死守しようとした80年前の日本と重なる。欧米諸国による圧迫やウクライナの性急な親欧姿勢が攻撃を誘発したとする言説も聞かれるが、それは米国による包囲網が日本を追い込み開戦に至らしめたとして、日本の侵略行為を矮小化しようとするのと同じである。 (2022.5.5)
●2020年2月
年末の強風も夜半には収まり、ここ北関東は穏やかな新年を迎えた。暖かい日差しの中でまどろんでいると、全てのことを忘れてしまいそうになる。一昨日に食べた食事が「もりソバ」であったのか「かけソバ」であったのかすら、記憶にない。諦めて机回りの整理をしていると、昨年4月に共に「桜」を見た友人たちの連絡先までなくしてしまった。
ツマラナイことにこだわっていないで、溜まっている仕事に取り組むべきだと家族は笑う。しかし、正しい食事は健康の基礎であるし、住所録は交友関係に必須である。これらなしでは、真っ当な生活を送ることはできない。
翻って考えて見るに、日本人は「水に流す」ことを好むようだ。新しい元号を歓迎して無批判に受容するなど、その典型である。しかし、昭和・平成・令和と替わるに従い「加害」の事実を水に流されては、被害者たちは堪らないだろう。「日本固有の文化」「国書からの初めての引用」として、新元号を受容する向きもあろう。しかし、元号は有名な前漢の武帝が採用したものだし、漢字自体が中国に由来しており、ともに日本固有の伝統や文化ではない(註)。
あの震災より9年が過ぎようとしている。この間、「頑張ろうニッポン」のかけ声の下で、私たちの社会は発展してきたのだろうか? 民主主義は成熟したのだろうか? 「復興」を旗印に掲げたオリンピックも近い。金メダルの数に一喜一憂するような偏狭なナショナリズムを、自国でしか通用しない時間軸で過去を忘却しようとする国民を、そして贈収賄や忖度が横行して公文書や議会が軽んじられる政治を、大震災に対して暖かい援助の手を差し伸べてくれた世界の人々に、お目にかけたくないものである。
全ては、日本列島に住む我々の意識にかかっているのだ。「バンザイ」の連呼など、もっての他である。
(註)
忙中閑あり。年末にkindle「青空文庫」で藤村『千曲川のスケッチ』を、ようやく読み終えた。大学時代のクラブ山荘があるため、あの地域は毎年のように訪れている。登山とスキーと温泉で過ごした日々を想い出しながら…後記をみると、「大正1年」とあった。さて、その年に世界では何が起こっていたのか?
大正1年=1912年と換算して初めて、浅間を仰ぎ見つつ藤村が過ごした山里の日常と、孫文が活躍した中国や大戦前夜の緊迫した欧州情勢が、重なり合って私の頭の中を駆け巡った。日本人の思考回路に元号使用が与える「負の影響」は、明白である。
ちなみに、「1912年」と聞いても何も思い浮かばない人には、無責任に一票を投ずる前に、中学・高校生に戻ったつもりで歴史を学び直すことを強くお勧めしたい。歴史を知らずに現在を評価し、未来をデザインすることはできないのだから。
(2020年2月10日)
●2019年6月
告白します(-_-″)……これまで運転歴30数年ですが、ずっと「左足ブレーキ」でした(^_^;。
踏み間違いによる痛ましい事故が続いている。高齢者に免許証返納を進める意見もあるようだが、高齢者の人権を無視するような見解には反対である。踏み間違い検知装置の改良、さらには自動運転の普及が究極の解決策になると思うが、より簡単な踏み間違い防止策として、「左足ブレーキ」を強く推薦したい。
自転車をこぐ時の要領で、左右の足で交互にブレーキとアクセルを踏めば良いのだから、簡単なことだ。両足の筋肉を交互に使うのだから疲れも少ない。踏み替えがないのでブレーキを素早く踏める。段差の乗り越えの時などには、ブレーキを踏みながら微妙なアクセルワークができるので、たいへん重宝である。
インターネットには左足ブレーキのデメリットを指摘する声が溢れているが、食わず嫌いで全く的外れの反対意見である。“身体が不安定になる”こともないし(左足裏全体または左かかとは常にフロアに載せてあるので)、“パニックの際に踏み込むべき足の左右を間違える”などありえない(歩行中や自転車に乗っている時にパニックで左右の足を間違えるだろうか?)。
昔は、あの厄介で繊細なクラッチ操作を左足で行っていたことを想起してほしい。そもそも右手が利き手の人は、左足が利き足ということをご存知だろうか。よって、“左足でブレーキ操作が上手くできない”といった心配は無用である(少しだけ練習すれば良い)。
ちなみに、私こと当HP管理人はサンデードライバーではない。東京と当山を車で毎週1~2往復し、そして何処へでも車で行きたがる運転好きである。あの複雑なニューヨークやワシントンのハイウェイも、左ハンドル&左足ブレーキで難なく通行できる。雪道の運転も四駆ならば平気だ。その私が、自らの長い経験から強く言いたい。「左足ブレーキで踏み間違いによる事故は激減します」。
左足ブレーキによる安全運転で、どんどん当山に参拝して貰いたいものである(*^_^*)。 (2019年6月12日)
●2019年3月 (トランプー金正恩米朝の第2回米朝首脳会談について)
会うことに意義があったと信じたい。再会は3度目の逢瀬?^_^;に繋がる。
思い起こしてほしい…あの米ソ冷戦が激化していった時代、米英仏ソの4大国首脳がジュネーヴに参会して笑顔で写真に収まり(1955)、フルシチョフが訪米してアイゼンハウアーと会談したこと(59)が、(米大統領はケネディ代わったが)キューバ危機(62)の解決に繋がっていったのは間違いない。
それにしても、「世界を俯瞰する外交」はどうした? これが「制裁・圧力」と言い続けて他人頼みの強硬外交を繰り返してきた結果なのか? 自らが位置する東アジアが大きく地盤変動しつつある時に、全く‘蚊帳の外’に置かれているのは噴飯物でしかない。
再び思い越して欲しい…欧州に多大な惨禍をもたらした第一次世界大戦(1914~18)が終わった100年前、ウィルソン米大統領の唱えた「新外交new diplomacy」 が流行語となって、パリ講和会議(19.1-6)で恒久的平和に向けて熱い議論が繰り返されていた時代を。その時に日本は、「五大国 Big5」(米英仏伊日)の一員として講和会議に加わりながら、経験と語学力の不足そして何よりも平和に向けた ‘理念’ の欠如から、会議では孤立した挙げ句に沈黙を続けて「silent partner」と密かに軽蔑されたのだった。
さらに「民族自決」という国際的潮流を見誤った日本は、朝鮮半島では「三・一独立運動」(19.3)を徹底的に弾圧し、大陸部では権益拡大を強引に追い求めて「五・四運動」(19.5)を引き起こした。…そして日露戦争の勝利でアジアの希望の星と思われていた日本は、アジアの民衆から失望され孤立していく。
知る人によれば、友人を大切にする ‘良い人’ だそうだ。落ち着いた住宅街にあるお坊ちゃま大学を出た(少し単純な思考回路を持つ)男が、したたかな思惑を持った人々に操られて暴走した結果が、孤立した今の状況なのだろう。戦争への道を決定づけた上で内閣を投げ出した近衛文麿と酷似していると思うのは、私だけではないだろう。
しかしながら、個人を批判しても仕方あるまい。二人とも、世論の支持を頼りに暴走していったのだから。あの時代に近衛内閣と大陸への強硬策を熱く支持した日本国民たちも、今の時代に(住民投票に示された)地方の民意を完全に無視し、かつ無形の圧力をかけて公文書や統計数字の偽装を官僚に強いる内閣に高い支持を寄せ続ける国民たち(特に若年層男性)も、時代を超えて共にその責任は重い。
すべては、私たち国民のせいなのだ。(2019.3.4)
●2018年3月(春の市民大学講座について)
公開講座「解釈改憲の果てに」で齊藤和夫先生は、自衛隊の追認と海外派遣を巡り憲法解釈の変更が積み上げられてきた過程を、解り易くお話くださいました。そのクライマックスが、あの集団的自衛権容認だった訳です。時間切れで「緊急事態条項」のお話を伺うことができなかったのが残念です(次の機会ですね)。
受講者アンケートを拝見させていただきましたが、皆さまの改憲問題への関心の高さを実感いたしました。知識を再確認して問題点を整理した上で、「なんとなく賛成or反対層」へ的を射た議論を広げていく必要があるように思いました。巧みなプロパガンダを行う政府の言うままにならない、賢い市民・国民でありたいものです。
セミナー「日本文化と仏教のかかわり―道元の教えを中心に―」では、皆川義孝先生が美しいスライドをお使いになりつつ、禅の思想が日本の食文化に大きく影響していることをお教えくださいました。公開講座の深刻さとは打って変わり、講義室はグッと和らいだ雰囲気です。終講後には「いやぁ~面白かった!」との声が…。永平寺で1年も修行された皆川先生ですので、お話に説得力がありました。また、立派な『英語対訳 典座教訓』を受講者の皆さまに頂戴しましたこと、駒澤女子大学さまに厚くお礼申し上げます。(3月12日)
●2018年2月
近年には珍しく既に3度の降雪があった。雪景色の境内を見ながら平昌のオリンピックを思う。すると、近くから聞こえてきたのは・・・
ケー子「ホントに悪いと 思っている? だったらもう一度、謝って!」
ポン太「エ~!、また謝るのかい?(--#)」
ケー子「そんなこと言うなんて、本当は悪いと思っていないんじゃないの?!」
ポン太「この前もう蒸し返さないって約束したじゃないか!(>з<)」
ケー子「アンタはいつも理屈ばっかり、私の気持ちなんか考えてくれてないじゃないの」
ポン太「だって余りにしつこいから。約束違反だ!」
ケー子「私の気の済むまで謝ってよ、自発的に。何か買って欲しいって言ってる訳じゃないし」
ポン太「いやだ!、この前これが最後だって約束したんだから( ̄^ ̄)」
ケー子「気が小さい男ね。『皆がやっていたことだ』なんて内心で思っているんでしょ?」
一緒に住んでいかなくてはならない二人が仲直りするためには、ポン太が取るべき行動は一つしかない。理屈は通用しないのだ。
このような時どのようにするべきか……は、人生経験が豊富な方々ならば、よくおわかりだと思う。 ^_^;(2月6日)
●2017年9月
近頃「笑っちゃう」ことが多い。首相ともなればジョークのセンスも一流である。
(1)
唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約への参加を拒否した国が、近くの国の核実験を非難できるのか? 「制裁・圧力を!」と冗談を繰り返すにも首相の顔が真剣である点が、役者として素晴らしい。
(2)
政治空白を危惧して緊急事態条項を憲法に盛り込もうとしている政党の党首が、近くの国のミサイルが上空通過を繰り返している状況下で、衆議院を解散して政治空白を自ら招こうとしている。政治空白への危惧はどうした? 近ごろ物忘れが激しい当HP管理人と同じである点が、同年代の者として嬉しい。
そもそも、制裁・圧力の強化は強い反発を招くだけだということは、歴史を見ても明白であろう。
(a)
蘭印の資源確保をめざした南部仏印進駐(1941.7.28)に対して石油の全面禁輸が行われると(註1)、日本政府はABCD包囲陣と喧伝して国内の引き締めを図り、海軍は真珠湾攻撃の準備を始めたのではなかったか?
(b)
「ヒトラーに裏切られた」ことを挙げ(管理人註:英仏両国の「宥和政策」を指す)(註2)、核武装など対抗手段の強化に賛成する投書が新聞に掲載されていたが(朝日9月17日)、余りにも過酷なドイツに対するヴェルサイユ条約(1919.6.28)こそがヒトラーの台頭を許したのではなかったか?(註3) 果てしない核軍拡の果てに何か起こるか、想像してみてほしい。幸いに戦争に至らなくても、さらなる国庫の窮乏を招くのみである。
「制裁・圧力」を口にしながらも、水面下では外交交渉が続いていることを信じたい。……日独伊防共協定強化交渉の最中に独ソ不可侵条約が結ばれた時(1939.8.23)のように(註4)、はたまた日本の頭越しに米中両国が接近しニクソン訪中の予定が発表された時(1971.7.15)のように、ハシゴを外されることがあれば日本外交の一大失策である。でも、独ソ不可侵条約成立の際に平沼騏一郎首相が「欧州の天地は複雑怪奇」と発表して内閣総辞職(1939.8.28)した前例を踏襲すれば、「解散」の可能性もあるだろう。首相がそこまで見通しているなら、流石である。(9月19日)
《追伸1》
解散が決まったようであるが、さて「大東亜の天地は複雑怪奇」となるか?(9月23日)
《追伸2》
選挙へ向けて複雑怪奇な合従連衡が永田町で始まったことには驚いた。憲法と議会を無視する一強支配体制を倒すにはどうしたらよいのか…理念に殉ずることなく小異を捨てて大同に付くなど、有権者には一層の戦略的投票が求められよう。(9月30日)
註1
重慶で抗日戦争を続ける蔣介石への物資援助ルート(援蔣ルート)遮断をねらったベトナム北部に対する進駐(北部仏印進駐/1940.9)に対して、ベトナム南部に対する進駐(南部仏印進駐/41
.7)は対英米戦勃発の際にインドネシア(蘭印)に進駐して戦略物資の確保を行う布石として行われたもの。北部仏印進駐当時のフランス本国はドイツ軍の占領下にあり(39.9第二次世界大戦勃発→40.6パリ占領)、仏領インドシナは対独協力を進めるヴィシー政府(南仏/40.7成立)に所属していた。そのドイツと日本は連携を進めつつあり、仏印進駐の直後に日独伊三国軍事同盟がベルリンで署名されている(40.9)。英米両国を事実上の仮想敵国とする軍事同盟の締結により、日-英米関係はさらに悪化したため、南部仏印進駐が行われることになる。
註2
ヒトラー政権(1933.1~45.5)は、軍備平等権を要求して国際連盟を脱退(33.10)→ヴェルサイユ 条約の軍備制限条項の廃棄と再軍備宣言(35.3)→ラインラント非武装地帯へ進駐(36.3)→オーストリア併合(38.3)に続き、ドイツ系住民が多いズデーテン(チェコスロヴァキア領)割譲を要求した(38.4)。これらの行動に対して、英独海軍協定(35.5)を締結した上にミュンヘン会談(38.9)でズデーテ ン割譲を容認するなど、英仏両国は妥協と譲歩を繰り返した。しかしながら、ヒトラーはズデーテンに続いてチェコスロヴァキアに進駐し(38.10)、さらにポーランドやリトアニアにはダンチヒやメーメルの 返還を求めるなど、要求をエスカレートさせていく。
註3
第一次世界大戦(1914.7~18.11)の講和会議であるパリ講和会議(19.1~6)には、敗戦国ドイツの代表団は出席を許されず、講和条約の内容については文書による回答のみが認められた。この結果、アルザス・ロレーヌの割譲やザールなどの国際管理、全ての植民地の放棄、独墺両国の合邦禁止、大幅な軍備制限、さらに金額未定のままの賠償金の支払い義務(のちに天文学的と言われる1320億金マルクの賠償金が決まった)などを内容とするヴェルサイユ条約の締結をドイツは強要されることになる。ドイツに対する制裁を基本精神とするヴェルサイユ体制に対し、ヒトラーたちは講和会議の基本原則であったはずの「民族自決」を突破口に、現状打破を図っていく。
註4
日独防共協定(1936.11)に続いて日独伊防共協定(37.11) が締結された。これらは、正式名称の「共産主義インターナショナルに対する協定」からわかるように、共産主義勢力(ひいてはソ連)の拡大に対抗するものである。その後、日独伊防共協定強化交渉が開始されるが(38.1)、交渉の最中にドイツは仮想敵国であるソ連と独ソ不可侵条約(39.8.23)を締結してしまった。当時は、満蒙国境で発生したノモンハン事件(ハルハ河戦争/39.5~9)の最中であり、日満両軍がソ蒙両軍の激しい抵抗で敗退を続けていたにもかかわらず、である。このため平沼騏一郎内閣は総辞職して(39.8.28)、防共協定の強化交渉は打ち切りとなった。ところが、第二次世界大戦(1939.9~
45.8or9)が始まってドイツの勢力拡大が続くと、「バスに乗り遅れるな」とのスローガンの下で日独両国の提携強化を図ろうという動きが生じ、同盟交渉が再開され(40.8)、日独伊三国軍事同盟(40.9)が締結されることになる。日独伊3国の同盟に加えて独ソ不可侵条約を締結しているソ連とも提携し、対立を深める日米関係を改善するための圧力としようと考えていた松岡洋右外相の日独伊ソの4国同盟案が、これを後押しした。この流れのなかで、日ソ中立条約(41.4)が締結される。しかし、この日本側の期待は独ソ戦の勃発(41.6)によって脆くも崩れ去り、残ったのは日米関係の悪化だけという結果に終わった。このため日本は上述した南部仏印進駐を行い(41.7)、一層の日米関係悪化を招く。真珠湾攻撃の半年前のことであった。武力を背景とした圧力が更なる対立を招き、ひいては無謀な戦争が開始される、その好例である。
●2017年1月
長年、東京郊外の同じ店を利用して髪を切っている。壮年だった店主も老境に入ったが、相変わらず面白い話をしてくれる。
「あれだけ強硬に海外に出でくるんだから、日本も徴兵制を復活した方が良いね」(親父さん! 相手は13億もの人口がいるんだよ/正面からぶつかったって勝てっこないよ)。「だから…相手に対抗するためには日本の核武装も必要かもな」(親父さん! 相手の国は日本の何十倍もあって核ミサイルが何発おちても平気だよ/日本なんか狭いんだから数発の核ミサイルで全滅だよ/まともに核戦争できるわけないじゃん)。「…それにしてもよ、少女像を日本大使館前に作るなんて許せないね」(親父さん! 自分の目で見てきた?/私は見てきたけど大したことはなかったよ/あんなもので騒ぐなんて度量の狭い国だと思われるよ/やらせておけばいいじゃん/戦争を始めた日本が悪いんだし相手が欲しいだけ賠償金も渡すといいよ/防衛費より安いよ)。「世論調査での支持率は高いけれど誰が支持してんのかね…回りにはアイツを評価する人は誰もいないね」(親父さん! 私の回りにも誰ぁ~れもいないよ)。
最後だけは意見が一致して、気持ちよく店を出ました。そして…除夜の鐘の中で年が明け、初春を思わせる穏やかな日差しの中、ご参拝の方々がご来山されました。今年も宜しくお願い申し上げますm(__)m。…ちなみに、彼の年頭所感は「積極的平和主義の旗を…高く掲げ、日本を世界の真ん中で輝かせる」でした(アベちゃん! 疲れること言うなよ「世界の片隅でひっそりと輝く日本」にしようぜ)(1月3日)
●2016年1月
稲田山の中腹から発せられた鐘の音の中で、当山は新年を迎えました。ご本堂の屋根を越えて漆黒の空と大地に吸い込まれる梵鐘の響きに聞き入る時、人々の暮らしが平穏で幸せであることを願わずにはいられません。はたして、昨年という年は後世にどのように評価されるのでしょうか? 大きく角を曲がってしまったのか、それとも戦後70年の潮流の一部に過ぎなかったのか?
ところで、年末に飛び込んできた「慰安婦問題に関する日韓合意」のニュースについて一言。「慰安婦っていなかったんでしょ?」とは、朝日新聞の誤報問題が注目された後の知人の発言です。学問として歴史を体系的・実証的に学んでいないと(註)、声高に唱えられる歴史修正主義的な主張に同調しやすくなります。そのような誤った認識が、今回の合意によって払拭されるのではないかと願い、今回の合意を好意的に評価したいと思います。
註:歴史を学ぶ一助として、公開講座「日本の近現代史を学ぼう―外交・軍事・経済―」(池知正昭先生)を 3月6日に開催します。
しかし、韓国国内では反対意見が過半数を占めているとの報道がありました。それだけ、植民地として彼らが負った傷や怨念は深いということです。「もう十分に謝罪した」と突き放したり、性急に少女像の撤去を求めたりせず、韓国の人々の思いに寄り添わなくては和解はありえないでしょう。単なる戦略的パフォーマンスではなく、自らの心情からユダヤ人慰霊碑の前に跪いたブラント西独首相のような、思い切った行動を日本の首相に期待したいところです。
末筆になってしまいましたが、当山に対する昨年1年のご支援ありがとうございました。心より感謝しつつ、より一層のお付き合いをお願い申し上げます。
●2015年9月
日本の国是を大きく変える「解釈改憲~安保法案強行採決」の一連の動きは、政権側の「クーデター」にも等しい。安易に軍事力に頼る「抑止力」を強調して、暴走する政権を後押しする国際政治学者がいることも、同じ学会に属する者として残念でならない。
武力による「抑止力」を重視する安全保障論の根本的欠陥は、平和を希求する理念の欠如にある。抑 止の本質が相手に対する威嚇にある以上、そこに真の平和はあり得ないからである。抑止力による平和維持を追求した結果が、100 年前の世界大戦であり、日独伊三国軍事同盟の破綻であり、現代における核兵器の氾濫ではなかったのか。ゆえに、いたずらに米国の軍事力の一端を担うのでは なく、東アジアで対峙する米中露3国の間に立って、平和を指向する協力体制を作り出す外交努力をするべきである。この点において、日米安保こそが日本外交の選択肢を狭めているように思われてならない。
思 い切って中国にも沖縄近くの無人島を貸与し、日中関係の劇的な改善を図ったらどうか? 北方4島の返還要求を取り下げれば、日露関係も大きく変わることは間違いない。奇想天外な暴論と思われるかもしれないが、「ニクソン訪中」(1972) や 「サダトのイェルサレム訪問」(77)のような、大胆な発想の転換が必要だということである。
今 夏、3週間足らずではあったが、ロシア・ウクライナ・ベラルーシその他を陸路で回ってきた。どこへ行っても日本(人)の評判は素晴らしい。スシ・カラテ・ ジュードー・アニメ・カメラ…日本文化は各地に広がっている。名も知らぬ町を一人さ迷っている時に、親日的な人々にどれだけ助けられたか。このソフトパワーこそが、憲法9条とともに何よりの財産となり、難民支援~紛争解決・脱原発&核軍縮へ向けた日本の外交力を担保することになろう。
「憲法では平和は守れない!」「9条を護って国が滅んでもいいのか」との批判の声もあるだろう。このような軍事力のみを信奉する意見に対しては、積極的平和主義という言葉の生みの親である国際政治学者ガルトゥング氏の提言(朝日新聞2015年8月26日東京版朝刊15面) が答えとなる。そもそも、法治国家としての民主主義の基本原則を踏みにじり国民を欺いて生き残った国家に、何の魅力があるというのか。そのような国家を、祖父の亡霊のような愚かな首相は作り出そうとしている。…これが、彼が追い求める「美しい国」なのか?
――安保法案が混乱の中で採決された2015年9月18日/84年
前に満州事変 (中国名は「九・一八事変」)が勃発した日に――
●2015年3月
関口存男(sondern) 先生の分厚い参考書を片手に、学部・大学院時代と何年間もドイツ語を勉強してきた。難解な専門書を読む点では一向に物にならなかったが、お陰で今でもドイツに行くと、英語を使わなくても電車に乗りホテルに泊まり買い物や食事が出来る。これは快感であるし、ドイツ語の緻密な論理構造と美しい響き、深い精神性を感じるドイツ文化、中世の面影を残すドイツの地方都市と実直な人々、いずれも大好きだ。彼らは、自らの過ちを直視して反省し、東西分裂と統一後の困難を乗り越えて、田園都市を新幹線と高速道路が縦横に結ぶ素晴らしい国を作り出した。フクシマを教訓にしたメルケル首相の脱原発の決断も、鮮やかであった。
それにしても首相の言葉の重みが何と違うことか? 「器」の違いを感じたのは、私だけではあるまい。私は日本人であることが恥ずかしくてならない。国際平和を見据えた誠意ある忠告に向き合わず、答えをはぐらかして自らの立場ばかりを強調し、独りよがりな歴史観に基づき緊張を煽って暴走する…、そのような政権を許しているのは我々自身なのだから。
●2015年2月
無邪気に「積極的平和主義」を振り回す安倍外交が如何に危険であるか、日本国民は思い知ったのではないか?
人質をとる行為こそが最初に非難されるべきだが、今回の事件は米国への同調を最優先してきた安倍首相・外務省の責任でもある。親米諸国のみを歴訪した上で、イスラム国対策として資金援助と空爆支持を表明したのであるから、「人道支援だ」と釈明しても彼らが日本を敵と思うのも無理はない。
彼らの源流は旧フセイン政権側の残党だ。そのイラク戦争の際にも、日本は「大量破壊兵器」の存在を主張する米国を率先して支持した。その検証も行わないまま、首相は集団的自衛権に基づくベルシア湾岸への自衛隊派遣さえ考えている。あまりに無神経な外交姿勢ではないか。
繰り返し述べてきたように、アラブ・イラン・トルコ世界を旅してみると、いかに住民たちが米国を嫌っているか、良くわかる。その一方で、武力を用いない日本への評価はとても高い。米国へ追従し非戦の誓いを放棄することこそが、日本の評判を傷つけ、日本国民を危険に陥れているのである。…武力でテロをなくすことはできないのだから。
●2015年1月
謝罪の言葉は相手の心に届いて初めて意味をなします。謝罪を要求されるのは、相手の心に謝罪の言葉が響いていないからです。また、刀を磨き徒党を組みながら相手に仲良くしようと言っても、周りの皆は誰も信じません。政治家は nationalismを刺激しつつ70年続いた戦後体制の否定を図り、地元住民は原発産業に依存して生活安定を図っています。ひとたび暴走を始めると制御不可能な点で、拡大する格差の中で取り残された人々が支えとするという点で、そして暴走すれば「美しい国」が破壊されるという点で、nationalism と原子力はとても似ています。
東日本大震災では、当山境内も被曝しました。当時、世界各国から日本に差し伸べられた数々の暖かい支援を思い出してください。…他の国も、同じように「美しい国」であることを知り手を差し伸べ合うことこそが、また美しい国の子孫たちに放射能を残さないことこそが、明るい未来へ繋がる唯一の道だと確信しています。周囲との争いや核のゴミの中からは、決して明るい未来は生まれないでしょう。まさに「この道しかない」のです。
旧年中は、ご参拝・ご支援ありがとうございました。深い静寂の中で、当山も新年を迎えました。仕事と暮らしに埋没した日常から一歩離れて、静けさの中で過去を顧みつつ長い視点で将来を展望していく、このような視点が今の日本人には必要なのではないでしょうか?
●2014年12月
政策について国民に信を問うために、選挙を行うのだと言う。それならば、なし崩し的に進められつつある原発再稼働、激しい反対運動が起きた特定秘密保護法、さらに国論が二分された集団的自衛権容認、これらを決定する際にこそ選挙を行うべきではなかったか?
人々が受け入れやすい増税延期を武器に、今回も「経済」を全面に押し出して選挙を戦い、政権を握るや豹変して集団的自衛権に関する法整備や憲法改定など、国民に抵抗の強い「政治」問題を推し進める積もりなのだろう。なんと国民を欺いた手法ではないか?
今回の選挙で再び勝利すれば、もはや政権の暴走を押さえることはできず、日本は決定的に右傾化し、大企業の優遇や社会格差の拡大が更に進むだろう。美辞麗句の多い彼の虚言に惑わされず、戦後レジームを根底から修正しようと画策する政権の本質を見極め、投票して貰いたいものだ。甘いエサに釣られて魂まで売り渡すような、愚かな国民ではないことを心より願っている。
●2014年7月
日本外交の大前提とされる日米安保条約こそが、日本外交の選択の幅を狭めているのではないか? 自国民を守るのは武器だけではない。最強の武力で自国の国益擁護を図っている米国が、テロ行為の対象となっていることを想起してほしい。他国を攻撃する武力を持つゆえに国民の安全が脅かされているとは、皮肉なことだ。
いろいろな国々を旅してきたが、smile
こそが最良の旅行術だと確信している。日本の評判は高く、一方で米国は嫌われている。日本は、他国を侵略した過去の反省にたち交戦権を放棄した。世界から賞賛されている非戦の原理を、米国との同盟強化のために骨抜きにするのは、なんと愚かな行為なのだろう。そもそも集団的自衛権は、米ソ対立が顕在化する中で米国が自国陣営を強化するために、国連憲章51条に強引に挿入したものだということを、どれほどの日本国民が知っているのだろうか?
第一次世界大戦前の独墺伊三国同盟と英仏露三国協商の対立を見れば明らかなように、さらに太平洋戦争前の日独伊三国同盟が日米関係の更なる悪化を招いたことを見ても明らかなように、武力や軍事同盟による抑止力の強化は相手国の一層の軍備増強を招き、国際緊張は果てしなく激化していくのである。「抑止力の強化で戦争が回避できる」と政府は言うが、それは国民を欺くための詭弁、もしくは過去の歴史に目をつぶった暴論である。
●2014年5月
ピンチはチャンスでした。その年、バルト海沿岸を旅した私には、「日本は大丈夫か?」と皆が声をかけてくれました。ヒロシマ・ナガサキに続きフクシマを経験した日本は、世界の反核運動や脱原発運動をリードできる位置にいました。高く評価されている日本文化とあいまち、国際社会における日本の地位は大きく高まったことでしょう。
ところが現実には、各国は憲法9条改訂の動きから日本の軍事大国化を懸念し、首相の靖国参拝は過去の戦争を肯定するものと解釈されています。いつの間にか、世界で日本は孤立しつつあります。そして集団的自衛権を声高に唱えるほど、東アジアでの軍事的緊張は高まるばかりです。
間違いなく日本は侵略国であり加害者であったこと、そして靖国問題は国内問題ではなく国際問題であることを、直視するべきだと思います。
●2014年3月
東京都民はフクシマを見捨てたのか! 原発の危険性を直視するよりも、自らの福祉と景気回復を優先した結果が、先の都知事選なのだろう。仕事の関係で週の半分を東京で過ごす生活を長く続けていますが(都民でもあります)、最近の都内は節電を忘れたかのようです。3年前の駅構内や地下街はグッと照明を抑え、東欧諸国を訪れたかのような錯覚に陥りましたが、今は眩しい程の照明で照らされています。ビジネスマンは早足で歩き去り、ショッピング客でデパートは溢れています。このような大都会も、ひとたび近郊で原発事故が起これば、瞬く間に廃墟と化します。原発がある地元では、景気対策から原発再稼働を求める声が強いようです。しかし放射能がまき散らされれば、愛すべき故郷に住むことさえできなくなります。智慧を絞って、原発依存の産業構造から脱却するべきです。ここ稲田の地も、3年前には子供たちは屋外で遊ぶことさえ出来ず、危うく無人の荒野になるところでした。
●2014年1月
特定秘密保護法や靖国参拝問題などの激震の中で、新しい年が明けました。今年は、第1次世界大戦勃発100周年になります。ベオグラードからバスに9時間も揺られて訪れたサラエボは、残雪の残る高原の美しい小都市でした。このバルカンの一角で起こった事件が、関係諸国の連鎖反応的な参戦を招き、予想もしない大戦争へと発展していきました。ここに、軍拡や軍事同盟により勢力均衡を求める平和維持システムの危険性があります。そして、「戦後レジーム」を批判する首相が求める集団的自衛権の行使とは、この危険な軍事同盟に他ならないのです。
ところで、戦争により尊い命を落としていった多くの若者たちは、いずれの国においても国立墓地などに葬られていきます。しかし、国家が声高に戦没者を「英霊」として奉る行為は、彼らが尊い命を落とした戦争を、結果として浄化し美化することに繋がります。「戦友や肉親が命を落とした戦争を‘侵略戦争’と言うのはけしからん」という言葉が、このことを端的に証明しています。すなわち国家による慰霊行為は、愛国心を醸成して国家への犠牲を強いる舞台装置へと、変質しかねないのです。しかも我が国の場合は、靖国参拝への反発が国際緊張の激化を招き、それは政府による国民統制の絶好の口実となります。一部の政治家たちが靖国参拝を繰り返す理由は、これらの点にあるのだと思っています。
●2013年12月
暗澹たる思いである。日本の民主主義がガラガラと音を立てて崩れいく。怒号の中で成立した特定秘密保護法は拡大解釈が繰り返され、国民を政治から遠ざけ、国民を萎縮させ、国民の行動を縛るようになるだろう。…これが、このような社会が、彼が無邪気にも追い求める「美しい国」なのか?
政府の御用新聞と化した読売新聞よ、ジャーナリストとしての恥を知れ! アベノミクスに踊り政権の暴走を許した人々よ、同じ間違いを繰り返さないで欲しい。
●2013年11月
解釈改憲で集団的自衛権の行使を認めて、立憲主義を無視して非戦の理念を放棄し、ついには秘密保護法で民主主義そのものを葬り去ろうとするのか…。国旗国歌法の制定当時、政府は「強制するものではない」と答弁したが、そのような口約束は完全に反故にされている。秘密保護法も同じ経過を辿り、国民が政府を監視することは不可能となって、警察国家への途が開けていくだろう。アベノミクスの甘言に釣られ一票を投じた人々に問いたい…「これで良かったのですね」?
●2013年9月
財政破綻を防ぐために消費税を上げ、生活保護給付金も切り下げなくてはならないと言いつつ、防衛予算は大幅な増額になりそうです。果てしない軍拡競争が如何に空しいものかは、第1次大戦前の英独建艦競争や冷戦期の米ソ核軍拡を見れば明白です。増税分は全て社会保障費に充てるのではなかったのか? また、各地の教育委員会が政府の意向に沿う形で、書籍の閲覧制限を(事実上)強要したり、歴史教科書の選定にも介入しています。教育は、政府に都合の良い国民を作り出す道具にすぎないのか?
●2013年6月
政府は、日本の軍事行動を「侵略の定義は未定だ」と強弁した上で、恥ずべき行動を「資料で確認できない」と隠蔽しようとしています。その上、国内では姑息な手段で平和憲法を破壊して基本的人権の制限されも目論み、アベノミクスで我が国は一層の格差社会になりつつあります。さらに、「原発ゼロ方針は…国民に不安や不信を与えた」と述べて過半数を超える国民の意見を歪曲し、制御不能になることが証明された原発を各国へ売り込もうとさえしています。「美しい国」日本は、いつから厚顔無恥な国になってしまったのでしょうか?
●2013年1月
歴史は繰り返すのか…? と問いつつ新年を迎えました。いつの時代も為政者は教育に介入し、Nationalism
を弄び国民の義務を強調してきました。そして3度も被爆した日本は、世界に何のアピールも発することなく、原発再稼働と土建国家再建へと猛進しています。双葉町にお住まいだったご夫婦がご参拝にお越しになりました。「生きているうちに双葉町へ戻ることは諦めています」と…。この言葉の持つ重さがわかりますか?
●2012年12月
親鸞聖人は、当時の政府の念仏弾圧により越後へと配流されました。いつの時代も為政者は思想を統制して教育に介入し、近代国家が誕生してからは愛国心の名の下に国民を戦場へ送り出してきました。その点で、日の丸掲載や君が代唱和を政治権力を用いて強要し、憲法や教育基本法を改定しようとする政治家の言動は、本当に危険に思われます。
そもそも主張がねじれていると思いませんか? 米国に押しつけられた憲法を改定して国防軍の創設をめざすと言いつつ、集団的自衛権の行使を認めて日米安保の強化を図るというのは…。筆者はイスラーム諸国を旅することが大好きなのですが、西アジアの国々では日本の評判は本当に素晴らしいものがあります。その日本が、米軍を助けるために武器を取ることが、彼らには信じられないようです。
●2012年10月
稲刈りも終わり、境内は萩の季節になりました。お葉付きイチョウの実も落ち始めています。「今月のPhotos」には、玉日廟への「わらじ参り」と当山を取り巻く自然を載せました。ご笑覧ください。
国境問題を巡る残念な報道に心を痛めています。いつの時代も、政治家たちは内政につまづくと対外強硬策を採り、nationalism
を利用して国民の支持を得ようとします。その結果は、ミロシェヴィッチの率いたセルビアを見れば、明らかです。郷土愛と愛国心を(故意または無知ゆえに)混同した「亡霊のような政治家」が、憲法を改訂し教育に干渉しようとする日本の状況は、危険きわまりません。
実は、筆者は国境を越える旅をテーマに、毎年いくつもの国境を陸路や海路で越えています。どこの国境もexcitingです。危険とされていたセルビアやボスニアの国境も、歩いたり乗合バスに揺られたりして越えました。かつて冬期五輪が開催された美しいサラエボは、民族対立でビルが黒焦げになっていました。それでも人々は、国境を跨いで逞しく生きていました(密貿易も見ました)。そして皆、平和を望んでいました。政治家の人たちがnationalismを弄んだ結果、もっとも被害を受けるのは私たち一般民衆です。扇動に乗ってはいけません。
●2012年8月末
足早に過ぎ去っていった子供の頃の夏休み…。麦わら帽子に虫取り網が懐かしいですね。当山の林間にヒグラシに替わりツクツクボーシが鳴き始めると、草むらでは秋の虫の鳴き声が。もう秋は、そこまで忍び寄ってきています。
当山の境内も蝉時雨だけが降り注ぐ無人の地となり、聖人に想いを馳せることもできなくなるところでした。そのような事態が現実に起きかけた(フクシマでは起きている)…、ここに原発の恐ろしさがあります。この夏も、毎週金曜日には国会周辺で反原発の集いが続けられています。実は、筆者は野田首相と(面識はありませんが)同じ大学・同じ学部・同じ学年でした。大学では、民衆は愚かだから無視しろ、なんて絶対に教わらなかったハズなのですが…。同窓生として、お恥ずかしい限りです。
●2012年7月
ようやく梅雨も明け、盛夏となりました。長い杉木立の参道やお頂骨堂へ向かう林間には、ヒグラシの鳴き声が響き渡ります。ヒグラシは、ある時刻になると一斉に鳴き始めるのですが、夕方ばかりでなく早朝にも鳴くことをご存じですか? 朝もやの中、林間にカナカナカナと響き渡るヒグラシを聞くと、心が洗われる気持ちになります。
このように心休まる境内も雑草が生い茂る無人の地となり、聖人に想いを馳せることもできなくなるところでした。そのような事態が現実に起きかけた(フクシマでは起きている)…、ここに原発の恐ろしさがあります。原発再開を目指して政府や政治家に圧力をかけ続けている財界の方々! 放射能汚染で会社を閉鎖せざるを得なくなるかもしれませんよ。国会周辺で毎週くり広げられている反原発の運動に背を向けている、言い換えれば、民衆の声を無視し続けている政府の方々の神経の太さ(にぶさ)に、驚きの念を禁じ得ません! 苦しくても節電しよう! とアピールすれば、国民多数は喜んで応じると思うのですが(当山の参拝名簿用のライトもLEDにしました)
●2012年6月
新緑まばゆい春は瞬く間に終わり、梅雨となりました。お葉付きイチョウの根元を覆うコケたちが、その存在感を最も増す季節です。日々の喧噪から離れて心の落ち着きを取り戻すために、苔庭を味わいにご来山なさいませんか?
このように心休まる境内も雑草が生い茂る無人の地となり、聖人に想いを馳せることもできなくなるところでした。そのような事態が現実に起きかけた(フクシマでは起きている)…、ここに原発の恐ろしさがあります。原発再開を目指して政府や政治家に圧力をかけ続けている財界の方々! 放射能汚染で会社を閉鎖せざるを得なくなるかもしれませんよ。
●2012年1月
新しい1年が始まりました。 夢溢れる幸せな2012年になりますように!
昨年は大変な1年でした。放射能に汚染された国土を抱え込んだ日本は、それでも原発廃止に舵を切ることができないままです。原発依存やTPP参加問題を見ても、経済や効率中心の発想を改める時期に来ている気がします。さらに、八ッ場ダム工事は再開へ! 「豊かな水に恵まれた稲穂の国」は、どこに行ってしまうのでしょうか?