第4回 2013年11月1日   東京工芸大学名誉教授 加藤智見

【連載・親鸞と現代の諸問題(4)】
  ―現代の若者の悩みに、聖人はどう答えてくださるか―

 

 先回は、日本の壮年期の人々の悩みについて聖人にたずねてみた。今回は若者(ほぼ20歳前後の青年を指す)の悩みを分析し、これについて聖人にたずねてみたい。
 現代の日本の若者の最も深刻な悩みは、就職の問題と友達ができないという問題である。就職の問題はともかく、友達ができないなどということが、なぜ悩みになるのかと壮年期以上の方々は思われるかも知れない。ところがこれが事実である。長年若者を見てきた私も、最初は子どもじゃあるまいし、なぜそんなことで悩んでいるのか、甘ったれちゃダメだと思っていたが、友達作りを含めて、とにかく今の若者は人間関係に過敏で消極的になっている。そこで、この二つの問題の現状を見ながら、親鸞聖人ならどんなアドバイスを、彼ら若者にしてくださるかについて考えてみたい。
 第一に就職の問題であるが、就職難は歴史上たびたびあった。しかし今の若者の場合は、特に深刻である。たとえば厚生労働省と文部科学省によると、昨年、つまり2012年春の卒業生の中で2万5000人が内定を得られなかった。また警察庁によれば一昨年の11年、就活つまり就職活動の悩みが原因で自殺した大学生は41人にのぼり、4年前の3倍以上に増えたという。なぜそれほど悩むのだろうか。
 以前の若者は、大学入試に合格すると、やっと受験戦争から解放されたとばかり、今までやれなかったことをはじめたものだ。自分の趣味に没頭したり、勉強するにしても自分の興味のある勉強をしながら将来やりたい仕事を探しながら、夢をふくらませていった。このような姿勢が次第に職業の選択に結びつき、四年生になると自然に就職活動、入社試験へと進んでいった。青春を満喫し、苦労はあったにせよそれほど深刻さはなかった。
 ところが最近は、大学に入った途端、就職への準備へと駆り立てられる。就職のためにいろいろな資格を取っておけと先輩からは言われ、入学した大学も、少子化からの生き残りをかけ、就職率を高めるため、就職のための講座を設けたりし、早くから就職の準備をさせようとする。さらには大学外でも就活塾つまり就職活動のための塾ができ、煽る。このため一年のときから塾に通いはじめる学生もいる。何のために大学に入ったのかと思ってしまうが、彼らは深刻なのだ。思い切り遊び、さまざまな人と出会い、好きなことを学んで人間性を豊かにできる青春時代を奪われ、ますます人間性が瘦せ細り、何事にも消極的になってあきらめてしまう。これを「さとり世代」と皮肉る言葉さえ生まれた。
 バブル期に就職しあまり苦労をしなかった親の世代は、不安に襲われる。このような親子のために「親子カウンセリング」をする就活塾も増えている。もう大学生なのだから親から独立し、自分の仕事くらいは自分で探せという考えは、過去のものになりつつある。こうして若者の自立はいよいよ阻まれ、閉塞感の中で彼らは悩んでいるのだ。
 第二に、友達ができないという悩みであるが、文部科学省によると2012年度の大学の休学者は過去最高の3万1000人、10年で1万人近く増えたという。この中に友達ができずに孤立し、大学に通うことを恐れ、やがて休学、退学となる若者も多い。なぜこんなことで悩むのだろうか。
 今では孤立する若者を「ぼっち」という。独りぼっちの「ぼっち」だ。友達がいない若者の中には、「一諸に食事をする友達もいないのか」と馬鹿にされるのを恐れ、トイレの個室で弁当を食べるなどということも起こっている。あげくの果てには、友達と行くべきところに一人で行けないため、お金を出して「レンタルフレンド」と一諸に行ってもらうなどという現象までおこっているのである。独りではさびしい、話しを聞いてもらいたい、どこかに一諸に行ってもらいたいという若者たちのためにこの「レンタルフレンド」を派遣する会社までができているのである。一昔前までは、大学生は大人扱いされ、友達作りなどはとっくに済ませておくことだった。
 就職の問題も、友達のできない問題も、さまざまな理由が絡まり、簡単には説明しきれないが、基本的には少子化と関連し、過保護に育てられた結果逞しさを失い、傷つくこと、傷つけることを極度に恐れるようになってしまったことが大きな理由であるが、ここで彼らが稲田におられる聖人のもとにアドバイスを求めに行ったとしたら、聖人はどのようにアドバイスをくださるのだろうか、を考えてみよう。あくまで私の推測ではあるが、あたたかく迎え入れ、次のように諭してくださるのではないかと思われる。


 「私は9歳のときから比叡山で修行をはじめましたが、10年ほど経って20歳頃、自分の地位が「堂僧(どうそう)」と定められました。エリートコースの「学生(がくしょう)」ではなく、地位の低い堂僧にされたのです。正直言って、私は愕然としました。親に申し訳なく思いましたし、希望も失いました。しかしやがてこの挫折が私を変えました。この悩みの原因を毎日毎日仏さまに問い続けていましたが、やがてこうして悩み苦しむ者こそを救ってくださるのが実は仏さまであると気づかせていただいたのです。もし私がそのとき学生になっていたら、立派な学僧になれたかも知れませんが、そうであれば法然上人にも出会えず、念仏の本当の意味、信心の本質、そして本当の救いもいただけなかったでしょう。たしかに良い企業に入ることも大切なことでしょうが、それがすべてではありません。思うところに就職できなくても、それは自分の人生の一コマにすぎません。どんな縁でどうなるか、その時点では予測できません。あまり就職に過敏になるのではなく、今できる勉強をしっかりしておくことです。自分の人間性を練り、自分がどう生きるかをいつも念頭にして努力することが大切です。そうしていれば、いつか必ず自分の道が開かれてくることでしょう。真に自分を生かす仕事に出会えることと思います。
 次に、友達ができないことも辛いことでしょう。私も29歳になって比叡山を下りるまで、自分の悩みを相談したり解決策を考えてくれる友達もなく、悶々としていました。そこで尊敬していた聖徳太子に心の中でいつも相談していました。ところが29歳のとき、京都の六角堂にお籠りをしたとき、その太子が夢の中で、法然上人のもとへ行きなさいと告げてくださったのです。上人のもとへ行って、勇気を出してお声をかけ、弟子にしていただきました。そして毎日毎日上人のお話を聞き、私は自分の心の中を全部さらけ出し、聞いていただきました。すると上人も何でも話してくださいました。このときから私は一生この人について行こうと決心しました。たとえだまされて地獄におちてもついて行こうと思ったのです。私は幸せでした。心の絆を上人と結べたのです。こののち念仏が禁止され、聖人は四国、私は越後に流され、二度と会うことはできませんでしたが、いつも上人は私と一緒にいてくださいました。上人を友達と呼ぶことなどできないかも知れませんが、同じ阿弥陀さまを信じるという点では、仏教でいう「同朋(どうぼう)」なのです。師であっても、同じ仏さまの教えを信じる友なのです。友達は何人もいる必要はありません。一人でもよいのです。本当にこの人と友達になりたいと思うなら、その人に勇気をもって声をかけてごらんなさい。あなたが真剣に接しようとするなら、相手はきっと応えてくれます。そうしたらあなたは誠実に何でも打ち明け、話しなさい。相手も心を開いてくれるでしょう。場合によっては正直に話すことにより傷ついたり、傷つけたりする場合もあるでしょうが、それによって逆に絆は強められていくのです。お互いにやさしくなってもいけるのです。友達ができないと悩むことは、友達ができないからではなく、本当の友達を作ろうとしていないからです。できればパソコンやスマホを通さず、思い切って自分の殻を破って声をかけてみてください。どこかで、誰かがそれを待ってくれているはずです」

現在の開門時間は、

9:00~16:00です。

 

親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年を記念した前進座特別公演「花こぶし」の水戸公演が2月に行われます。

詳細は左端の「お知らせ」タブより「行事日程と工事予定」をご覧ください。

(2024.1.11)

⇒ご鑑賞、御礼申し上げます。

 

「除夜の鐘」をつきます。23:50~01:00頃。ご参拝ください。   (2023.12.31)

⇒ご参加・ご参拝ありがとうご

 ざいました。(2023.01.1)

 

2023年度の新米が入荷しました。今年の新米も昨年同様ローズドール賞(最優秀賞)を受賞した新品種「ゆうだい21」です。詳細は左端のタブ「庵田米の販売について」をご覧ください。    (2023.10.20)

 

筑波大学名誉教授(日本思想)伊藤益先生のご講義【第5回】     

「慈悲の思想」をUPしました。左端のタブ「internet市民大学」よりお入りください。      

         (2023.7.15)

 

「市民大学講座」7月16日開催します。ご講師は伊藤益先生です。詳細は左端のタブ「公開講座・Seminar のご案内」をご覧ください。4年ぶりの開催ですので、ご参加をお待ちしています。(2023.5.29)

⇒約70名の受講者の方のご参加を得て、質疑応答で40分の延長の後、無事に終了しました。35度にもなる酷暑の中、駅から往復3km を歩いて参加され方々もありました。皆様、ご参加ありがとうございました。そし て、お疲れさまでした。 

       (2023.7.18)        

 机に向かい静かに目を閉じると、想いは6年前に訪れたキエフ〔キーウ〕に飛ぶ。ホーチミン経由のベトナム航空でモスクワに着いた私は、その足で駅に向かい、翌日の夜行列車を予約したのだった。

 

 首都キエフは、ロシア正教会(今はウクライナ正教会)の建物が夕日に輝く美しい都市だった。十字架を抱えたキエフ大公ウラディミル1世がドニエプル川を見下ろし、独立広場にはウクライナ国旗とEU旗が記念塔を取り囲んでいた(大学の授業で配信した動画の一部をUPします)。

 

  モスクワからキエフまでは夜行で一晩、1時間ごとに寝台列車が出ている。乗車当日その場でキップも買える。「母がウクライナの出身なんだ」と話していた初老のロシア人男性。両国に親戚がいる人々も多い。その国に攻め込むとは…刻々と届く映像を見ていて涙が止まらない。


 事態を予想しなかったと話す識者も多い。フィンランド侵攻(1939)・ハンガリー事件(56)・チェコスロヴァキア事件(68)と繰り返された暴力。必ずキエフまで侵攻すると私は確信していた。なぜ事前に米軍やNATO軍を緊急展開させなかったのか。抑止力となったはずだ。腰の引けた指導者たちの宥和政策が、ヒトラーの勢力拡大を可能にしたことを思い出す。


 キエフではミンスク(ベラルーシの首都)行きの寝台列車の切符が買える。チェルノブイリの側を抜けた列車は、翌朝にはミンスクに着いた。そのベラルーシでは、一昨年にはルカシェンコ政権に対する激しい民主化要求デモが続いた。ロシアでも反戦デモが続いているようだ。ナショナリズムに染まらないロシア人の知性に、僅かな光明を見る思いがする。

      (2022.2.26)

《追伸》
  十数年前のロシア航空、隣に座ったチェコ人青年の言葉が思い出される。チェコ解体(1939)と「プラハの春」弾圧(68)を経験した彼らの言葉は重い。 
  Russia is more dangerous

  than Germany.


 自国の権益と安全保障を要求して一方的に他国に攻め込む姿勢は、満蒙特殊権益を死守しようとした80年前の日本と重なる。欧米諸国による圧迫やウクライナの性急な親欧姿勢が攻撃を誘発したとする言説も聞かれるが、それは米国による包囲網が日本を追い込み開戦に至らしめたとして、日本の侵略行為を矮小化しようとするのと同じである。        (2022.5.5)

 

 

 

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