「ぬくめ鳥」の記

   ――良水の自決と北陸からの移民―― 稲田実乗(当山住職)

 

 享保・天明・天保の日本三大飢饉の内で、最も長く広範囲に大きな被害を与えたのは、天明の飢饉であった。山間地が多い笠間地方は思うように復興が進まず、農民は働く気力を失っていた。そして、他の地方へ逃げ出す者が後を絶たず、口減らしの為の間引きや堕胎、更に盗みなども増えていった。

 

 笠間藩の苦衷を察した当山21世住職の良水は、長年の恩顧に報いるべく、入百姓(開拓移民)の策を献じ北陸へと旅だった。目指したのは越中(富山)である。彼は、有縁の各地で法座を開き、親鸞聖人の聖跡である稲田御坊を披露すると共に、飢饉による苦境を述べ、入百姓による復興を懇願したのである。

 幸いにして、浄土真宗篤信農民の理解・賛同を得て入百姓が始まったが、幕藩体制下における集団入植は不可能であるため、それは当山参拝を名目にした内密の戸別入植となった。そして無事に到着した者は、笠間藩の指示に従って各地へ入植していった。入植が始まって10年後には、50数戸の入百姓があったことを喜ぶ私記が残されている。

 

 入植は順調に進み、それに刺激されて地元農民の心も立ち直り、復興に励む者も増えていった。ところが、入百姓引き戻しの為の調査が加賀藩で始まっている、との風聞が伝わってくる。このため入百姓たちは動揺し、早々と他の土地へ逃走する者も出始めた。

   それを知った良水は、入百姓の責任はすべて良水個人にあることを伝え、心配なく開拓に励むよう説得して動揺を静め、入植に関する書類を焼却した上で、自決した。文化5年(1808)旧暦6月18日、良水62歳の時であった。

  風冴ゆる 夜はまた春の ぬくめ鳥

          天明期の笠間藩主 牧野貞喜公

  霞みても 思いは捨てず 遠筑波

          最後の笠間藩主 牧野貞明公

 

 

付記

 幸いなことに、入植は藩相互の問題にならなかった。

 入百姓政策については地元民にも一切知らされていなかった。このため、入百姓たちは北陸から逃げてきた罪人や悪党たちだと思われ、地元民より一段低い者たちとして加賀っぽ・一向・新百姓などと呼ばれ、差別されてきた。このような状態は、敗戦により既存の社会体制が大きく変化するまで続くことになる。

 そのような中で、入百姓の人々は当山の法座には必ず参詣し、入百姓同士の縁組も決まった。彼らは、親鸞聖人の教えを心の拠り所として、苦境を耐え抜いてきたのである。

  良水没後二百余年の歳月が流れ、越中・越後の入百姓の子孫は数百戸に増え、今や当山の直参門徒の中核となっている。 

  ほたる火や 入植偲ぶ 良水忌

    平成26年(2014)6月 稲田山27世 釈実乗

 

 

 

境内にある 《「ぬくめ鳥」の記》 (上の文章が書いてあります)
境内にある 《「ぬくめ鳥」の記》 (上の文章が書いてあります)

 ご年配の受講者が多い状況を勘案して、「夏の市民大学講座」中止することに致しました。

 経済活性化を優先する crazyな政府の方針に反しますが、コロナ再拡大が進んでいる現状では市民大学講座を開催するべきではないと考えた次第です。ご迷惑をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。どうぞ皆さまお元気でお過ごしください。再びお目にかかれる日を楽しみにしております。

          (2020年7月5日)

 

   

夏期(3月下旬~11月中旬)の開門時間は8:30~16:30です。

 

 

 年末の強風も夜半には収まり、ここ北関東は穏やかな新年を迎えた。暖かい日差しの中でまどろんでいると、全てのことを忘れてしまいそうになる。一昨日に食べた食事が「もりソバ」であったのか「かけソバ」であったのかすら、記憶にない。諦めて机回りの整理をしていると、昨年4月に共に「」を見た友人たちの連絡先までなくしてしまった。


 ツマラナイことにこだわっていないで、溜まっている仕事に取り組むべきだと家族は笑う。しかし、正しい食事は健康の基礎であるし、住所録は交友関係に必須である。これらなしでは、真っ当な生活を送ることはできない。


 翻って考えて見るに、日本人は「水に流す」ことを好むようだ。新しい元号を歓迎して無批判に受容するなど、その典型である。しかし、昭和・平成・令和と替わるに従い「加害」の事実を水に流されては、被害者たちは堪らないだろう。「日本固有の文化」「国書からの初めての引用」として、新元号を受容する向きもあろう。しかし、元号は有名な前漢の武帝が採用したものだし、漢字自体が中国に由来しており、ともに日本固有の伝統や文化ではない()。


 あの震災より9年が過ぎようとしている。この間、「頑張ろうニッポン」のかけ声の下で、私たちの社会は発展してきたのだろうか? 民主主義は成熟したのだろうか? 「復興」を旗印に掲げたオリンピックも近い。金メダルの数に一喜一憂するような偏狭なナショナリズムを、自国でしか通用しない時間軸で過去を忘却しようとする国民を、そして贈収賄や忖度が横行して公文書や議会が軽んじられる政治を、大震災に対して暖かい援助の手を差し伸べてくれた世界の人々に、お目にかけたくないものである。
 全ては、日本列島に住む我々の意識にかかっているのだ。「バンザイ」の連呼など、もっての他である。

(註)

 忙中閑あり。年末にkindle「青空文庫」で藤村『千曲川のスケッチ』を、ようやく読み終えた。大学時代のクラブ山荘があるため、あの地域は毎年のように訪れている。登山とスキーと温泉で過ごした日々を想い出しながら…後記をみると、「大正1年」とあった。さて、その年に世界では何が起こっていたのか?

 大正1年=1912年と換算して初めて、浅間を仰ぎ見つつ藤村が過ごした山里の日常と、孫文が活躍した中国や大戦前夜の緊迫した欧州情勢が、重なり合って私の頭の中を駆け巡った。日本人の思考回路に元号使用が与える「負の影響」は、明白である。

  ちなみに、「1912年」と聞いても何も思い浮かばない人には、無責任に一票を投ずる前に、中学・高校生に戻ったつもりで歴史を学び直すことを強くお勧めしたい。歴史を知らずに現在を評価し、未来をデザインすることはできないのだから。    (2020年2月10日)

 

 

書籍の販売コーナー宿坊にございます。左端のおしらせ→書籍販売コーナー新設のご案内とお進みください(写真がご覧になれます)。また、当山のパンフレットオリジナル絵葉書その他の記念品があります。宿坊の売店にてお求めください。パンフレットと絵葉書は、ご本堂内にもございます。